ムーラン・ルージュ

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 古式ゆかしいムーラン・ルージュでの悲恋物語なのかなーと思って見てみたら、全然違うのでビックリしますね。この映画の語り手であり作家の卵であるクリスチャンは、エリック・サティトゥールーズロートレックアブサンで乾杯する。アブサンの緑の悪魔ならぬ緑の妖精が導くのは、毒々しいまでに煌びやかなムーランルージュ。現代風にアレンジされたフレンチ・カンカンが流れる中、シルクハットをかぶった観客の紳士たちもミュージカル風に踊っているという映像の迫力に度肝を抜かれる。
 ムーラン・ルージュの胡散臭い派手派手しさがすごく好き。ケバケバしいメイクをした踊り子や楽団員たち、小人が行き交い、蛇使い女や道化師が散在している。ミュージカル風のセットというよりもミニチュアのように作り物めいたパリの夜空には、顔のある月が浮かんでいて歌を歌う。ネオンや電飾で飾り付けられているムーラン・ルージュは、現代の歓楽街にも似た地続きの桃源郷なんじゃろかー。繰り広げられるミュージカル風な演出が気持ちいい。
 時代は19世紀末だけれど、現在の音楽がふんだんに盛り込まれたミュージカル風なシーンがすごく好き。クリスチャンとサティーンがヒットナンバーのメドレーで愛の問答をする場面とか、侯爵とサティーンの仲に嫉妬したクリスチャンの心情にアルゼンチン・タンゴの情熱的な踊りと歌を重ね合わせるところがすごくいい。どのシーンも好きだけれど、ジドラーと侯爵が野太い声で「ライク・ア・バージン」を合唱するシーンは、その意外性と歌詞がよく馴染んでいて一番好きかも。
 映画自体はとても楽しめたのだけれど、クリスチャンのファック野郎ぶりだけはどうしても我慢できないんじゃよねー。侯爵から金を搾り取るためにサティーンを餌にしたくせにすぐ嫉妬するし、ムーラン・ルージュの命運を賭けた芝居なのに私情持ち込みまくりだし、あげくサティーンが侯爵に手篭めにされそうな場面で嘆き悲しむだけ(ショコラが助けてくれて事なきを得たけれど)。
 だいたいこの映画は、ミュージカル的な演出とか、侯爵を酷い人物として執拗に描いていることからもわかるように、クリスチャンの夢想の産物であり、あまりに綺麗にまとまった悲恋物語はすべてクリスチャンの妄想なのだと断言できる。現実のサティーンは夢見がちなアホ作家よりも女優としての独立を選んだはずだし、クリスチャンは彼の愛を受け入れないサティーンにストーカーのようにつきまとった挙句、劇を台無しにしてムーラン・ルージュを追い出されたに違いないんじゃよ? クリスチャン以外の人々の証言から構成した『本当は残酷なムーラン・ルージュ』か、デビット・リンチに『マルホランド・ドライブ』風にクリスチャンの現実パートを追加撮影してもらうべきなんじゃよ。この映画には愛も真実もないが、美だけはある。山ほどある。