岡本かの子『食魔』 講談社文芸文庫

食魔 岡本かの子食文学傑作選 (講談社文芸文庫)

食魔 岡本かの子食文学傑作選 (講談社文芸文庫)

グルメと書いて「美食家」と読ませるのはよく見るけれど、「食魔」とゆう宛て字は予想外。しかし、フランス人の食への傾倒は、たしかに道楽の域を越えて魔に魅入られているとしか思えないので納得できすぎる。

食に魅入られた「食魔」の生き様を余すことなく書ききった短編群も素敵だけれど、食に関する随筆も素晴らしい。食に関する随筆といえば真っ先に森茉莉が思い浮かぶのだけれど、森茉莉はまさに食魔だった。岡本かの子は、食魔から一歩引いた視点(小説として昇華することができる)があるのがおもしろすぎる。

解説によると、「食に対する仏教的な思想」があるらしいけれど、いまいちよくわからん。ただ、食と生活=思想が直結してる感はある。ジム・クレイス『食糧棚』は生活の中の食を切り取った短篇集だけど、なんか思い出した。ジム・クレイス無神論者らしい。

『家霊』 毎夜ドジョウ汁を食べずにはいられない老人の「食われる小魚も可哀そうになれば、食うわしも可哀そうだ。誰も彼もいじらしい」という言葉は、食べねば生きれぬ・食べることで体と心の飢えを満たす業がすさまじい。歳とったらこんな爺さんになりそうな気がする。

『鮨』 潔癖症が行き過ぎた子供が、偏食を治すきっかけになった母親とのお鮨屋さんゴッコは、解説にもあるけど、中勘助銀の匙』を思い出させる。特に好きだとか御馳走だとは思わなくても、鮨を食べるのは特別なことになりうるらしい。

『食魔』 若き日の北大路魯山人をモデルにした鼈四郎は尊大だが、しかし海原雄山のように尊大なだけではない。器用なだけで渡ってきた芸術家たちの世界で焦り不安を隠すために居丈高になり、縋りつけるのは食だけだったという、食に殉じ食に憑かれ、食から始めた男の姿が「大根を食べる」とゆう場面に凝縮されていてすさまじい。

『恋人に食べさせたい御料理』 エッセイ。こんな御料理だれか食べさせてください。