レーモン・クノー『あなたまかせのお話』 国書刊行会

あなたまかせのお話 (短篇小説の快楽)

あなたまかせのお話 (短篇小説の快楽)

わりと大好物で、ちょこちょこ集めたり読んだり積んだりしてるクノーだけど、なんかいまいち「クノーならではの特徴」というのがよくわかんないリトルおろかなわし。あえて言えば「実験的」なのだろうけど、言語に関する実験は、翻訳された段階でよくわからなくなってしまうノデ。

で、待望の短篇集がどうだったかというと、おもしろいけどなんか散漫。明確な意図があって編集されてるわけでもないし、わりと思いつきっぽい短篇ばかりだし。

『運命』 「夏草や、ストベルの生涯が、どうでもよい」評…ちょっとハイネ入ってたかにゃー。書き手にとって、ストベルの生涯がいかにどうでもよいかが如実にあらわされていれば幸いです。

『その時精神は…』 疑似科学を突き詰めていくと、なんとなく正しいような気もしてくるからおそろしいぜ。真面目に追求しすぎるとジョン・スラデックになってしまうけど、ほどほどなのでほどほどなかんじ。

『ささやかな名声』 後世に著書を遺せなかった幽霊が、自らの著書を思い返してくれる人に必死にまとわりつく様がおもしろすぎる。幽霊とは、生者の記憶に宿る残留思念であり、その意味では本は幽霊そのものなんじゃろか。

『パニック』 わけのわからん下宿人に翻弄される屋主、とゆうか、屋主は「変な下宿人だな」と思う程度でビクともしねえ。むしろ、謎の下宿人の謎な混乱っぷりが謎。『現代イタリア幻想短篇集』収録の『禁じられた音楽』のように、結局屋主からしたら下宿人はすべて常軌を逸しており、下宿人が常軌を逸しているがゆえに屋主は正常でいられる。

『何某という名の若きフランス人』 カフカがいうところの「鳥籠が鳥を追い掛けてゆく」ような因果が逆転するような話。意味を求めるより、ナンセンスさを笑っておいたほうが楽しい。

『ディノ』 語り手にしか見えないディノという犬。ディノとの埠頭での別れは、ナボコフ『「いつかアレッポで…」』を思い出すと楽しいね。語り手の幻想かはともかくとして、語り手にはディノはたしかに存在したのだ。

『森の外れで』 妙な論理の元に、常識的に見れば不条理な話が延々続いていくのが楽しいのに、尻切れが悲しい。

『通りすがりに』 通りすがり(役名もそうなってる)が、何度も何度も通りすがって、意地でも通りすがりで終わらないようにがんばりすぎるところが楽しい。同じ役柄を男女入れ換えて繰り返してるところも好き。

『アリス、フランスに行く』 この短篇集の中で一番好きかも。やっぱり、なんだかわからない狂った論理が狂っているがゆえに突き詰められる『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』は素晴らしいことがわかった。

『フランスのカフェ』 現在型のみで描かれるスケッチ風の掌篇。

『血も凍る恐怖』 夜にトイレに立って漠然とした恐怖に駆られることがあるけれど、それが栗のピュレのせいなのかはよくわからん。

『トロイの馬』 若島正編『異色作家短篇集』で既読だけれど、やっぱりおかしすぎる。馬馬しい馬が、馬丸出しでバーで飲んでるのがおかしすぎるが、調子よく飲んでたのが「くたばる」という言葉で急に機嫌が悪くなるあたりが、馬小説であるとともに酔っ払い小説であると言い切れる。

『エミール・ボーウェン著『カクテルの本』の序文』
「酒と馬」というお題でもう一編無理矢理仕上げてしまうからおそろしいぜ。『トロイの馬』も、元はといえばこの短篇みたいに、「カクテル」という言葉の洒落からできたんじゃろか。

『(鎮静剤の正しい使い方について)1、2』 あんまり出来が良いとは思えないが、コントの台本みたい。

『加法の空気力学的特性に関する若干の簡潔なる考察』 アホ疑似科学って、真面目くさってこじつける過程が楽しいんじゃよねー。間違ってスラデックのようにやりすぎると、それらしく見えすぎて笑えなくなってしまう(馬鹿は馬鹿を丸出しにした)

『パリ近郊のよもやまばなし』 題名そのままみたい。立ち聞きを素材そのままで。

『言葉のあや』 ダジャレを、古代ギリシャの哲学風な対話で延々分解するだけだけど、大袈裟な言い回しが楽しい。

『あなたまかせのお話』 選択肢を選んで行くと、どう選んでも投げやりなエンディングにしか辿りつかないのが楽しい。つまり、コルタサル『石蹴り遊び』やナボコフ『青白い炎』など一見読者に読む自由を与えているように見えても、物語として読むなら実際は作者の意図どおり読まねばならず、ゲームなんかによくある「あなた次第で物語がかわる」式の読者主導の物語など欺瞞にすぎないとか、そうゆうようなことを言いてえ。

『夢の話をたっぷりと』 実際に起きた出来事を骨子だけにして陳列すると、なんか夢の中みたいに唐突で不条理に見えるという実験なのか?その人物が夢にみそうな事実を、夢として物語にでっちあげたアントニオ・タブッキ『夢の中の夢』とは、逆の仕組みで同じ結果に辿りついてる気がする。

『付録 レーモン・クノーとの会話』 なんか言葉とかの話。素に近い作者が明かす舞台裏には興味ないので、そのうち読むかもしれないけど、たぶん読まないような気がする。