クルト・クーゼンベルク『壜の中の世界』 国書刊行会

壜の中の世界 (文学の冒険シリーズ)

壜の中の世界 (文学の冒険シリーズ)

技巧に走りすぎるわけでもなく、妄想を羅列するでもなく、変な話の変さを失わないように丁寧に語っていて、ひたすらずっと変な話がつづく短篇集で、すごくよかった。

作者が教訓やら暗喩やら意味を与えたくなるところでジッと我慢して「物語」をしてくれてるところがすごくい。こちらは隠された意味を探るでもなく(探そうとすれば、壁の染みにだって意味は求められるけれど)、ひとつひとつの話を読むのは楽しいね。ずっと読んでたい。

『壜』 ボトルシップと現実の船の運命の交錯が楽しい。

『蒼い夢』 馬車や船にひたすら乗り続けて果てしない時を乗り越えるのってウラシマ効果によるタイムトリップじゃね?(馬鹿はなんでもSFにしたい)

トルコ人』 いかにもトルコ人っぽい格好の人に、いかにもトルコ人が知ってそうな話を振ったら、「きみは何を言っとるのかね」みたいな対応されてギャワー。楽しすぎる。

『巨人』 ものすごく巨大な家には、なんか巨大ななにかが潜んでいるような気がするけれど、そんな強迫観念は犬にでも食わせておけばいい。食べた犬が無責任にどんどこ大きくなるからおそろしいぜ。

『裸の男』 施したり施されたりする話になんらかの教訓を求めるならば、その土地に住む人には霊がついていて助けてくれるし、家の守り神がいるってことなんじゃろか。本編には出て来ませんが。

『秩序の必要性』 病的に細かいアンケートの細かさもおもしろいけど、回答のにまったく関係ない項目を集計するところがもっともらしく、結果がまったく意味なく保管されてるのがおもしろすぎる。バラード『尋問事項に答える』とかスラデック『不安検出書式B』とかバーセルミ『雪白姫』とか、アンケートのある小説マニヤにはたまらない逸品です。

『ニヒリート』 まったくなにも接着できない接着剤のためだけに発明されたと言い切れるダメ素材「ニヒリート」のダメっぷりを念入りに説明しつつ、それでもニヒリートが売れるのは接着剤の薫りが素晴らしいからだというオチがすごくいい。

『抱き合せ販売』 アホみたいにエスカレートする抱き合わせ販売が、アホみたいにエスカレートしたがゆえに均衡を保ってしまっているのが楽しいね。抱き合わせ販売を禁じるのがただひとりの犠牲者だというオチもいい。

『どなた?』 突然家族から忘れ去られるという恐怖が、他の同じような家にピッタリ収まるというハッピーエンドにしてるところが好き。ありがちな悲劇を無理矢理回避しつつ、なんとなくそうかもと思わせてくれるクーゼンベルクの真骨頂的作品。

『授業』 猛獣を教室に連れこんでの実地授業は、いつ破綻してもおかしくない緊張感をはらみつつ、緩み切って終わるのでした。

『休まない弾丸』 どこかのアンソロジーで読んだような気がする。延々飛び続ける弾丸に対して、度胸試しちっくに接する人々の反応が楽しいね。

『生き急ぐ』 生き急ぐとは死に急ぐことと同義だが、ちゃんと人生を謳歌し全うして死に急ぐからおそろしいぜ。

『不思議な部屋』 配置を動かすだけで世界に影響を与える平凡な部屋って、アブラム・ディビッドスンの短篇にもあったような。知らずに影響力を行使する人への、それを知っているが力のない人の執着がわかりすぎる。

『汽車を乗り間違えて』 乗り間違えて親切にされることに味を占め、ついにはプロの乗り間違え屋になって鉄道会社から公認されてしまう過程が楽しいね。浮き世離れはしてるけど、あってもおかしくなさそうなんじゃよね。

『優雅な泥棒たち』 夜な夜な忍びこむ泥棒たちと、ある程度のラインで不文律的な相互不可侵状態になるのがおかしすぎる。この状態を維持することなく、納得のいく理由で壊すのがうまいなー。

『黒人の料理女』 とてつもなく美味しい料理を作るが、代わりにどれか一品に毒を盛る料理女。全員納得づくで絶品晩餐会に参加していると思いきや、わりと覚悟が足りてなくて傾向と対策を考えてるのがおもしろすぎる。

『森の人々』 文明をめぐる一般論なんじゃろか。

『竜』 掟を犯した愚か者と、罰する者と、刑を執行する怪物。全員が全員まったくやる気がないのにやる気がないままそれでも物語が進むのがおもしろすぎる。

『魔法の扇子』 ウッカリどんな願い事も叶う扇子を落としたばかりか、拾ったのが小娘だったばかりにヤキモキする魔法使いが哀れすぎる。なぜ小娘はいい男が見つからないだけで「世界が滅びればいいのに」と願うのかとか、そういうようなことが言いてえ。

『スイミン・スクール』 ダメな父とダメな先生の会話にたまに入る、娘の冷静なつっこみが楽しいね。

『最後の一筆』 あまりにも巧すぎるために自作の絵から人間が抜け出してしまう画家が、捻りだ出した一手が賢すぎ。