少女革命ウテナ 第12話『たぶん友情のために』

第11話から第12話への流れが好きすぎるので、つい続けて見てしまうリトルおろかなわし。おっといけねぇ。これ以上はいけねぇ(黒薔薇編に突入してしまうから)

正直、セーラー服のウテナはビックリするほどオッケーなのだが、それじゃダメなの!

普通の女の子になろうとしているウテナに言い寄る冬芽に対して、若葉が「わたしのウテナさまに触らないで!」と激昂するのは、わかりすぎるし、同時に間違ってもいる。「王子様であるべきウテナ」を汚されて怒るのは、「薔薇の花嫁であるアンシー」が想定外の行動を取ったときの反感と矛盾する。ウテナもアンシーも、それぞれが王子様と薔薇の花嫁という与えられた役割を演じているに過ぎない。要は、本当に望んでその役割を演じているのか、むしろ演じる先にある自分自身を勝ち取れるか否かにかかっている。この時点では、若葉が自分勝手な思い込みでウテナに「王子様」を期待してるだけ。

「君は何もわかってない!」と言うウテナに対して、「わかってるわよ!」と返す若葉。確かに若葉は薔薇の花嫁も決闘の掟も、なにもかもわかっていない。ただ、今のウテナが「自分が好きだったウテナではない」ことだけは若葉はよくわかっている。ウテナは再び決闘に赴くが、それは決闘ゲームをするためではなく、ウテナウテナであるための「僕の普通を取り戻す」ためなのが素敵すぎる。

そして、激昂するあまり冬芽に水ぶっかける若葉→何故かアンシー水浸し→うろたえつつアンシーをなじる若葉→切れたウテナに頬を張られ、不適な笑みを浮かべウテナの頬を張り返す若葉という流れがたまんねー。若葉の期待してた「王子様としてのウテナ」「友達としてのウテナ」は死んではいなかった。絶望し無気力なウテナに、「普通じゃないのが普通のウテナだ」と無理矢理ウテナに「ウテナという役割」を演じ続けさせようとする若葉。若葉がウテナに勝手に「王子様」や「かっこいい友達」を期待するのは勝手だけれど、勝手なだけにその想いに応えるウテナが素敵すぎる。

樹璃せんぱいがウテナに剣を貸してくれるシーンも大好きなんじゃよねー。奇跡なんて戯言を一番嫌っていた人が、実力で圧倒的に下回りディオスの加護もなく、学ランという王子様の扮装すらないただの女の子に力を貸す。

アンシーがディオスの剣に力を与えるのに、目を背けるウテナという構図は納得出来すぎる。フロイト心理学的に(ナボコフ流に言えば、「ウィーン会議派」)

「勝てるわけないのに、はやく終わんないかな」「天上さん頭おかしいんじゃないかな」というアンシーの感想は、冷静というには突き放しすぎで、幾多の決闘を見てきたアンシーにはある意味、当たり前なのかも。当たり前の状況で、当たり前の結果に向かうことに抗うウテナ、ボロボロになって戦うウテナにアンシーはかつて見たはずなのに忘れていたものを見い出す。薔薇の花嫁=王女様として与えられていたものではない、定められた物語に抗う姿を見い出す。

決闘か終わってボロボロのウテナは、とても美しい。「潔く、かっこよく、生きていこう」というテーマソングのフレーズを聞くと、この姿が浮かぶ。