第11話『優雅に残酷・その花を摘む者』

若葉は「王子様を演じているウテナ」とうまく付き合ってるなー。若葉にとっての王子様は西園寺なのだけれど、それはそれ。ウテナとの王子様ごっこを楽しんでいる。

アンシーの弁当がかき氷じゃないのかと警戒するウテナ。ミッキーと一緒に美味しそうに食べてたのに! つまり、ウテナはアンシーが変なのを知っていて、変なアンシーに違和感を感じつつ、ありのまま受け入れようとしている。立派な王子様だ。

ウテナやアンシーを眺めつつ、冬芽は「ひとりぼっちの姫君が見える」と言い、ミッキーは「まぼろし」だと言う。どちらも本当な気がする。

薔薇園でのウテナと冬芽、そしてアンシーの対峙。冬芽は「薔薇の花嫁」という道具としてのアンシーを欲し、ウテナはそんな冬芽を否定する。ウテナはアンシーに「薔薇の花嫁なんて嫌だ」と言わせるが、それはエンゲージしたウテナ=王子様が、薔薇の掟を盾にアンシーに強いているに過ぎない。こうゆう細かいやりとりをセリフではなく、キャラクターの表情で演技させようとしているところが好き。

アンシーに「友達が欲しい?」と聞くウテナ。そのときのアンシーの惑いに似た表情に嘘はなかったはずで、アンシー自身「薔薇の花嫁ではない自分」を感じていたはずだ。

しかし、冬芽の奸計にはまり決闘に破れたウテナ、エンゲージしてないウテナに対して、アンシーは現在エンゲージしている者=冬芽の言う通りに「友達なんて要らない」と言い捨てる。アンシーの言い様に絶望し否定しようとするウテナを後目に「ご機嫌よう、天上さん」というアンシーの素振りが、第1話で西園寺を下してアンシーを解放したシーンをなぞっているのがおもしろすぎる。アニメならではの「バンク」を意識した演出が『少女革命ウテナ』の真骨頂だと言い切れる。繰り返しと、繰り返しの中での違う箇所の対比。

ウテナと冬芽は最も近い関係じゃよね。二人とも王子様に憧れて王子様になろうとしている。ただ、王子様になるためにはひとつだけ条件がある。ただひとり王女様になれない女の子=薔薇の花嫁に対してどう接するか。冬芽は「王子様になって目的を達成するため、薔薇の花嫁という犠牲をいとわない」、ウテナは「王子様は王子様だから、薔薇の花嫁だろうがなんだろうが、女の子は全員しあわせにしないといけない」。

冬芽の王女様=ウテナ=アンシー=薔薇の花嫁なので、薔薇の花嫁の犠牲なくして達成できない王女様のしあわせは矛盾している。

ル=グイン『オメラスから歩み去る人々』を思い出す。しあわせを掴むためにシステムとしての犠牲=薔薇の花嫁を許すことが出来るか否か。薔薇の掟に従って決闘ゲームを繰り返す「オメラスから歩み去らない人々」に対して、薔薇の掟に背き「オメラスから歩み去ることを選んだ人々」と考えると最終回がまた違った意味を持つ。