イタロ・カルヴィーノ再話『カナリア王子』 福音館文庫
- 作者: イタロカルヴィーノ,安野光雅,Italo Calvino,安藤美紀夫
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2008/10/15
- メディア: 単行本
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カルヴィーノがイタリアの民話を採集した岩波文庫『イタリア民話集』は、いつか読みたいにゃーと思いつつ積みっぱなしになっていて、本屋で抄録が並んでいるのを見てついウッカリ。
「歳を食うと説教臭い童話が読みたくなる」と言ったのは新井理恵だが、歳を食った僕は「教訓(脈絡)があるんだかないんだかわからない話」が読みたくてしょうがない。凡人の発想による因果や意図を軽く凌駕するような、筋としてはなんだかわからないが、それでもなんとなく納得できてしまう、口伝の権化のような「物語」、『今昔物語』のような、元型としか言えないような民話。僕は技法を評価するためではなく、「で、その後どうなるの?」という単純な欲望を満足させるためだけに物語を求めているのだと言い切れる。
『カナリア王子』 「本をパラパラめくるだけで、人間がカナリアに、カナリアが人間になる」という発想がわけわからなすぎて素晴らしすぎる上に、こんなわけのわからん現象があくまで話を進める上での装置に過ぎないところがすごくいい。
『とりごやの中の王子さま』 妖精を退治する方法が、劇中劇とゆうか、実現出来そうな妙な現実感が素敵。
『太陽のむすめ』 魔法を使える「太陽のむすめ」が淡々と無茶なことをすると、普通の人間であるところのライバル達が同じことをしようとして次々死んでしまうからおそろしいぜ。最初から無敵すぎるヒロインに対して、無力すぎる脇役たち。
『金のたまごをうむカニ』 「金の卵を産むガチョウ」は腹を裂かれて卵を産まなくなるという教訓があるが、「金のたまごをうむカニ」は食べられても吐き出せばいくらでも再利用可能なので、もうなにがなんだか。
『ナシといっしょに売られた子』 三回繰り返しがあるところが、なんとなくだけど厳然とあるルールを想像させて楽しい。
『サルの宮殿』 よく働くサルたちが、結果的に魔法が解けて人間になったからいいようなものを、もしもサルがサルのままだったらどーなるのかと言うと…別に困らねーにゃー。サルはサルのままで、そのままでうまくやっていく方法はいくらでもあるのかもしれない。
『リオンブルーノ』妖精と結ばれてしあわせに暮らしましたとさ、と終わるのかと思いきや、妖精が無茶なツンデレだったばかりに面倒なことに。しかし、何故かちゃんとハッピーエンドなところがすごくいい。