第2話『誰がために薔薇は微笑む』

我慢できませんでした。酔った勢いでもう1話見ます。

アンシーこえー。『少女革命ウテナ』の醍醐味のひとつに、その場でテキトーなことを言ってるキャラクターがその時本当は何を考えてそのような言動をしているのか、裏を読むことにある。ウテナとか西園寺は比較的本音を読み易いけど(馬鹿だから)、アンシーはサッパリわからなすぎて嫌すぎ。アンシーが「お好きなように、ウテナ様にお任せします」と言うとき、アンシーは言葉と裏腹に「ウテナにはこうして欲しい」という願望がある。言い換えれば、アンシーは常に、王子様としてのウテナを試している、

ウテナは「決闘の掟」を詰まらないゲームだと言い、わざと負けるとまで言う。しかし実際は、本気以上で戦い、実力で上回る相手に勝利する。

アンシーのために決闘をしたのではない、と言うウテナ。「薔薇の掟」にしばられて、あらゆる他人が己のために自分を利用していると思っているアンシー。純粋な利他に出会った、純粋な利己(表面上、利他を装っている)の動揺がかすかに見えるところがすごすぎる。

言いになりになるアンシーに交換日記を強いる、それほどまでにアンシーが大好きすぎる西園寺が憐れすぎる。西園寺はアンシーが好きすぎるが、まったく一切これっぽっちもアンシーのことをわかっていなさすぎなのだが、誰に西園寺を責められようか? アンシーは「薔薇の花嫁」というキャラクターを完璧に演じすぎであり、アンシーが演じるのは王子様のためなのだ。

ウテナにしても西園寺にしても、演じていない本当のアンシーなんてまったく知らない。だからって、ウテナやアンシーは虚像のアンシーだけを見ているわけではないと思う。

ウテナにしても西園寺にしても、いくらかはアンシーが演じているかアンシー像に騙されているかもしれない。けれど、ウテナや西園寺がアンシーを好きなのは、アンシーがアンシーだからだ。

なぜ悲劇になるのかといえば、アンシー自身が自ら演じているか「姫宮アンシー像」に忠実すぎ、他人には「演じている姫宮アンシーしか見えないはず」だと信じているからだと思う。

今日の生徒会 ババヌキ