シャーリィ・ジャクスン『くじ』 早川書房

くじ (異色作家短篇集)

くじ (異色作家短篇集)

大好きな『ずっとお城で暮らしてる』『たたり』を読んで、シャーリイ・ジャクスンの作風を一言でいうなら「乙女ちっくが止まらない」だと言い切れる。

「卒業式で泣かないと 冷たい人って言われそう」という乙女独特の自意識過剰な孤独・疎外感をグロテスクになるまで煮詰めちゃった短篇勢揃いであり、長篇だと一周まわって乙女ちっくな作風が、短篇だとグロテスクな面が強調されていて全然印象が違うからおもしろいね。

どの短篇も、主人公は孤独で内気な可哀想な人なのだけれど、迂濶に同情すると「あなただけが友達なの!」とどこまでもつきまとわれそうな嫌な現実感が特徴です。

被害者面した加害者の狂った思考を、彼らの孤独感を踏まえて描いてるから、こんなにも嫌なのにどうしようもなく惹かれるんだろうなー。

『酔い痴れて』 酔っ払ったオッサンが、酔ったいきおいで若者文化に失敗して孤独を感じたのを、ものすごい感受性で不気味な物語に仕立て直してみました。

『魔性の恋人』 待てど暮らせど来ない恋人を探し歩く切ない話だけれど、探し方が必死すぎであり、探されてる男の視点だとちょっとしたストーカーだからおそろしいぜ。ジョージ! いるのはわかってるのよ! 出てきなさいよ!

『おふくろの味』 小綺麗に片付けた我が家を乗っとられたターナーは気の毒だが、その事実よりもターナーの嫌になるぐらいうだつのあがらなそうな生きざまに同情する。

『決闘裁判』 盗みを断罪しようとして無断侵入するあたり完全に頭が狂っており、その現場を押さえられて慌てふためく様が憐れすぎて胸が締め付けられる。

『ビレッジの住人』 すでに卒業した場所に赴いて、自分の居場所がないことを思い知る。悪人がいない話をかかせてもうまい。

『魔女』 子供にとんでもないことを吹き込むオッサンは悪なのだけれど、その悪に対して無防備だった母親の愚かさが際立っていて嫌すぎ。

『背教者』 鶏を殺す犬は殺さないといけないという当然のルールを理解できないこと=世間とうまくやっていけない孤独感であり、周囲が狂っているように描きつつ、そう思っている主人公の乙女ちっくを容赦なく暴くシャーリイ・ジャクスンはすごすぎる。

『どうぞお先に、アルフォンズ殿』 黒人だからというだけで勝手に同情し、自分の思うような可哀想な黒人じゃないから怒りだす。この身勝手さが乙女ちっくさのグロテスクなところだと言い切れる。

『チャールズ』 他人事だと笑っていた災難が、自分に降りかかる恐怖を描く手法が鮮やかすぎ。

『麻服の午後』 子供を自慢したいし、それが子供のためにもなるという親の傲慢さが嫌すぎてすごくいい。地獄への道は善意で舗装されている

『ドロシイと祖母と水平たち』 水兵なんて女の子をレイプすることしか考えていないんじゃよー!という乙女ちっくな自意識過剰が集団心理で大暴走であり、水兵さんが気の毒すぎる。

『対話』 理解されない、理解できないという乙女ちっくが暴走。乙女は一応他人を理解しようとは試みるが、自分マイラブなのですぐ思考放棄して切れたりする。

『伝統ある立派な会社』 互いの息子から手紙を介した、嫌すぎる近所付き合いの縮図が嫌すぎ。溶け込みたいけど溶け込めない人と、わかっていてやんわりと断固として拒絶する人の緊迫した茶飲み話。

『人形と腹話術師』 話の展開は嫌すぎるが、オチが爽快。ファック野郎を殴って終わるなんて、シャーリイ・ジャクスンには古今例のないことである。

『意味の多様性の七類型』 悪意のない言葉に傷ついて行われるささやかな復讐が、あまりにも八つ当たりすぎて切なすぎる。

アイルランドに来て踊れ』 乞食のプライドと、それを理解できない善意の人々。その人の立場になって、という言葉はあまりにも傲慢なのだが、誰も理解できない。

『もちろん』 そして、理解できないことが善意の人々を怒りに駆り立てる。誰も望んでいないのに、ここに対立と憎悪が生まれる。

『塩の柱』 慣れないことはするものではないという話。

『大きな靴の男たち』 いい人だと思われなければいけない、という強迫観念が地獄を招いているところが嫌すぎる。

『歯』 高速バスで歯医者に行くというシチュエーションがおそろしすぎる。

『ジミイからの手紙』 余計なことを言ったばかりに、と必要以上に後悔するのも乙女の条件じゃよねー。

『くじ』 くじ引きで石投げ刑というところが取り上げられるけど、「くじ引きで被害者が決められ、被害者は理不尽に思っている」ところが重要だと思う。
つまり、悲劇のヒロイン気取りの乙女の心象風景であり、なんの罪もない可哀想な私にヒドイ仕打ちが!という自意識過剰&自分勝手な乙女ちっくワールド。