スカイ・クロラ

いっしょに見に行った西京極の先輩と、見終わったあと錦小路の居酒屋に行って、ベロンベロンになるまで(僕だけ)飲んで出た結論は、「『イノセンス』のほうがすごくね?」だったので微妙。『スカイ・クロラ』のあとに『イノセンス』なら納得できたけれど、逆なのは納得できねー。あらゆる点で『イノセンス』と比較してしまうし、あらゆる点で『イノセンス』が好きすぎるので、相対的に『スカイ・クロラ』の点数は下がってしまうような気がするけれども。

二時間って長すぎじゃないじゃろかー。まず、冒頭でやってるから、最後のティーチャーとの決戦は要らない。あと、栗山千明とか菊池凛子の長い説明台詞も要らん。あれこれ詰めて三十分縮められたら、だいぶ印象が変わった気がする。繰り返しのシーンで、榊原良子バセットハウンド抱えながらハンガーの電源落とすところで終わっていいと思う。説明過多なのが悪いとは思わないけれど、なんかバランスが悪いんじゃよねー。

爆撃機を中心とした編隊が飛行するシーンはずば抜けて美しい。

リミテッドアニメから先の進化を、手段としてのCG(よくわからんけど、一枚一枚動きを作画するんじゃなくて、モデル作って動かすやつ)に求めた場合、日本のアニメに先はあるんじゃろか。動きの省略や止め絵で軽やかさを得ている今の大半のアニメは、CGならではの「連続した動き」という重みに耐えられるのかにゃー。CGの特性に自覚的に映像を作ろうとしている人っているのかにゃー。

あと、物語って絶対に必要なのかにゃー。シチュエーションだけ設定したら、映像は作れるわけだし、そこに無理に物語を求めなくてもいいような気がする。ってゆうか、映像を作り出すために作られたシチュエーションが、必要とされていなくても孕んでしまうのが物語なんじゃろか。キルドレと戦争の関係は、映像と物語の関係にも当てはまるような気もする。

黒髪おかっぱメガネっこがタバコを咥えると、異様に萌えることがわかった。