スローターハウス5

 原作のヴォネガットの小説を読んだのはかなり以前だから細かい話は忘れてしまっているけれど、憐れなビリー・ピルグリムさんがトラファルマドール星に誘拐されて人生のいろんな時間や場所を脈絡なくあっち行ったりこっち行ったりする話だったはずだから映画にするのは難しいんじゃないじゃろかと思って見たら、小説よりもわかりやすいのでビックリしますね。
 映画がわかりやすいのは、しょっちゅう時間や場所が飛ぶ場面同士のつなげ方が抜群にうまいからだと言い切れる。逐次的な時間や場所の流れを無視してすごくテキトーにあっちこっちに話が飛ぶのに、飛ばされる場面同士はなんらかの関係を持っていて、飛んだ時空間同士を人間や背景や音がオーバーラップして滑らかにつなげているから違和感なく見られるところがおもしろいね。逆に言うと、小説のビリー・ピルグリムが逐次的な時間の流れから外されて自分の意志に関係なく自分の人生のあらゆる時間を行き来する羽目になるというままならなさや違和感が、映画的な綺麗な編集でつなげられているせいでほとんど感じられないのが欠点といえば欠点なのかも。まったく違う場面をつないでみせるという小説的にはアクロバティックな技法は、映画となればわりと当たり前の技法ってゆうか大前提なのでふしぎ。ロブ=グリエ『ニューヨーク革命計画』も映画にしたらすごくわかりやすくなってしまうのかなー。