ラジオタウンで恋をして

 マリオ・バルガス=リョサの書いた原作『フリアとシナリオライター』が好きだったので見たのだけれど、思ってたよりもずっとおもしろくて大満足。原作で主役だったマーティン(マリオ)を脇役にして、ラジオドラマの脚本家ペドロ・カーマイケル(ペドロ・カマーチョ)を主役に持ってきたのが大正解。
 劇作家ペドロの書くメロドラマ(大時代的でショッキングで、野島伸司大映ドラマみたい)と、小説家を夢見るラジオ局の社員マーティンの恋が微妙に重なってるなーと思ってみていたら、ペドロが裏から手を回してマーティンの恋の行方を左右しつつ、その顛末を観察して自分のラジオ劇の脚本に応用しているのでビックリしますね。マーティンは叔母であるジュリアとの恋を家族に隠しているのに、家族で聞いているラジオから自分やジュリアの喋った言葉が台詞として出てきて冷や冷やするハメになる。ペドロのドラマはマーティンの恋から着想を得ていたはずなのに、最後のほうではペドロのドラマに影響されてマーティンはドラマの主人公と同じことをしようとしているからおそろしいぜ。
 ペドロを演じるピーター・フォークは怪演しすぎ。原作のペドロは役になりきるためには女装も厭わないけれどそのことは頑なに隠していたのに、映画のペドロはむしろ嬉々としてメイド姿を披露するのでおもしろすぎる。ドラマの中で散々馬鹿にしていたアルバニア人にラジオ局を包囲されたら、工事人の扮装でラジオ局に出勤するし。扮装で飽き足りないのか、ラジオドラマの登場人物に見立てた人形まで作っていたりする。
 ラジオドラマにかけるペドロの芸術魂が素晴らしい。演じる声優に臨場感を求めるあまり、「ちょっとトイレでマスかいてこい」とか演技指導したりする。最後にはドサクサにまぎれて声優そっちのけで自分で全部演じ始めるのでビックリしますね。効果音も自分でやるとは、これこそまさに自作自演じゃろか。
 原作のペドロは複数の作品を同時進行しようとしてワヤクチャになってしまったけれど、映画のペドロはマーティンの恋を参考にひとつの作品に絞っているのでけっこう堅実にやってるみたい。それでも彼のラジオドラマの最後のどんでん返しの激しさはすごすぎる。禁じられた兄と妹との恋愛が、実はいとこだったから大丈夫だったというオチは許せんが、さらにもう一歩進めていとこどころか他人でしたとなると笑うしかないなー。ずっとアイパッチしていたお父さんがアイパッチを外したら普通に目があったりとか、絶対狙ってやってるとしか思えないハチャメチャぶりが楽しすぎる。