40話『平助の旅立ち』

 伊東甲子太郎がいよいよ獅子身中の虫の本領を発揮しはじめたからおそろしいぜ。でもなんか、やってることが限りなく安っぽいところが伊東甲子太郎伊東甲子太郎たるゆえんなんじゃよねー。せっかくうまいこと騙くらかして永倉と斉藤を酒宴に連れ出したのに(新選組を割ろうと策謀する伊東甲子太郎は、場合によっては嘘をついて隊士を連れ出してもよいのである)、得意満面で説得の成果を確かめようと座敷に戻ると、原田が出てきてこんにちは。ゲェーとビックリして顔が歪むところが伊東甲子太郎のクライマックスなのだと断言できる。セリフ抜きで顔だけで「えー」という演技をさせるとはまるなー。
 伊東甲子太郎は、基本的に人間のことを駒としか考えておらず、感情のある他人としては見ていないんじゃよねー。ってゆうか、伊東にとっての同志とは、自らの分身(忠実な手下)でしかないような気がする。伊東の平助への対応は、伊東が他人をどう考えどう扱っているかを端的に示している。伊藤の策は伊東の中だけでシミュレートされており、伊東の思惑通りにすべての人間がチェスや将棋の駒のように完璧に動くことが前提になっている。だから、平助は当然自分についてくるはずだし、突然呼んでもいない(自分の想定外の)原田みたいな人間が出てくるとビックリするはめになる。山南切腹のときに悲しみにくれる近藤と土方の前で弔歌を詠んで怒鳴られていたときもそうだけれど、なんか基本的に他人には他人の感じ方があるということが全然理解できていないんじゃないじゃろか。斉藤と永倉を説得するときも、「近藤の許しは得ている」と嘘をついて法度違背を盾に伊東側に付くようにいうのは、敵を陥れる策としてはともかく、そんなことされて味方につくと本気で考えているんじゃろかー。近藤を説得して御陵衛士設立の内諾をとりつけたときも、「すべては思うがままだ」と得意満面で近藤の気持ち(血を見るとイヤだから、伊東の胡散臭い口車に進んで乗った)はつゆも考えない。山南と土方が芹沢と新見をはめたときは相手の心情まで計算に入れて策を巡らせていたので、伊東の策の安さはより際立っているような気がする。鬼の副長が伊東だったなら、新選組はもっとひどい有様になっていたんだろうなー。
 捨助はすっかり佐々木只三郎の懐刀気取りなのでビックリしますね。龍馬殺しの主犯は決定じゃろか。
 伊東は全然自分のことを認めて(声をかけて)くれないと悩む平助に、なにも言っていないのに自分の病のことを承知している試衛館の仲間のことを話して諭す沖田がすごくいい。沖田が他人に病気のことを話すのは平助が初めてなのは、近しくも遠い二人の間の距離をうまくあらわしていると思った。平助は沖田を越えたかったし、沖田は平助の健康が羨ましかったと告白する。今後の展開を考えると皮肉ではあるけれど、ふたりの若者を対照的に浮かび上がらせていて好き。
 伊東に嘲笑される武田観柳斎の道化ぶりは、笑いよりも先に痛々しくて気の毒になる。来週が楽しみでもあり辛くもあり。