フライトナイト

 お隣に引っ越してきた人が吸血鬼だと知ってしまった高校生が、ヴァンパイア・ハンター役をやっていた役者といっしょに恋人を助けるために戦う話。やや変則的ながら正統派吸血鬼映画で、期待せずに見たらそこそこおもしろかった。
 隣人が怪物だったというのは、やっぱりスティーブン・キングモダンホラーの系譜なんじゃろか? ぎこちなく付き合っているちょっと変なお隣さんの正体が実は……というシチュエーションは、アメリカ的な郊外の住宅地にピッタリ。お隣が気になって仕方がない郊外住宅地の住民気質を逆手にとって、元から居た住人たちが偏執的に新人を監視するというホラーコメディ『メイフィールドの怪人たち』もおもしろかったしなー。1985年の時点で「お隣さんが怪物」という話は、もうホラーのお約束として確立していたみたい。
 今だと人間←→怪物の変身はCGを使ったモーフィングが当たり前だけれど、この頃は特殊メイクが主なので、見せ方に気を遣っていておもしろいね。襲う怪物と襲われる人間を交互に写して、少しずつ変身していく怪物を段階的に見せているのが効果的。全身が変身するのは出し惜しみして、手とか牙とか目とか一部だけを変身させるだけでも迫力が出るのは、吸血鬼映画の特権じゃろか。あと、特撮でもCGでも、死んだ怪物は謎粘液を出しながら溶けていって、最後に骨だけになって砕けるのねと思った。怪物は死に様も怪物でなければいけない。一方チャーリーの友人エドは、吸血鬼の僕として狼に変身した姿で倒されたけれど、徐々に人間の姿に戻っていって完全に人間の姿で死ぬ。人間として扱われるキャラクターは、怪物になっても死に様は人間らしく。
 チャーリーが吸血鬼の妄執に囚われていると思っている周りのみんなが、隣人ダンドリッジ(正体は吸血鬼)に対して「あなたが吸血鬼じゃないことを証明するから協力してくれ」と頼むところがおもしろかった。ダンドリッチは、協力するのに吝かではないが、十字架は止めてくれだの、本物の聖水は使わないでくれだの、明らかに吸血鬼としか思えない変な要求をするのであほすぎる。別にそんな事違うですよ? ちょっと霊的に再生したので宗教的なものを遠ざけたいだけなんじゃよ? 
 最初は逃げ腰だったヘナチョコ吸血鬼役者ビンセントがいっしょに戦う決心をした理由がスッポリ抜けてるし、ダンドリッチは思わせぶりな肖像画を持っていて昔の恋人の面影を追ってエイミーを攫ったのかなーと思ってたらそうでもないみたいだし、友人エドが吸血鬼になって死んでいるのに何事もなかったかのようなハッピーエンドだし、いまいち納得できないところも多いけれど、おもしろかったからいいや。