フランツ・カフカ『流刑地にて』 白水社uブックス

流刑地にて―カフカ・コレクション (白水uブックス)

流刑地にて―カフカ・コレクション (白水uブックス)

ものすごく久しぶりに再読したけれど、やっぱりおもしろいにゃー。短篇も長篇も大好きなんだけど、読むと疲れるからたまに短篇読むぐらいでいいのかも。でも『審判』はいずれ読み返したい。

カフカって不条理小説だと言われるけど、むしろ普通の小説が条理に則りすぎなのだと言い切れる。カフカの小説は、登場人物たちにとって、なんだかわからない方向でなんだかわからない展開になってなんだかわからない終わり方をする。なんだかわからないのは、登場人物=読み手たちには、与えられた現状から計算出来るだけの「まあ大体こうなるだろう」という物語があるわけだけれど、そんな計算をわりと簡単にものすごい勢いで裏切るからみたい。

そして、僕たちの人生という物語だって、僕たちが勝手に思い込んでいる物語(倦んだり憧れたりする平々凡々な日常)を軽々と飛び越えてしまい、本来はカフカの書くのと同じくらい意味不明なことが起こりまくりなんじゃよねー。カフカの小説は意味不明なことが起こりまくりなのになんだかしっくり来るのは、意味不明なことが起きたときの登場人物の反応が、意味不明なことばかり起きる僕にはものすごくよくわかるからじゃろか。

カフカの言葉に「世界と君との戦いでは、世界に味方せよ」というのがあった気がするけど、なんかわかる気がする。よくわからんけど。

『判決』 弱り切ったように見えた父親が、急に元気になって順風満帆な息子を糾弾するところは強烈すぎる。話はすべてベッドの中で聞かせてもらった!みたいな、凄まじい状況なのにコントじみているところも好き。不条理な展開は、それがシリアスであればあるほど、笑いになるみたい。

流刑地にて』 謎の拷問具兼処刑具の謎っぷりが最高な短篇であり、思えば僕が拷問や処刑に興味を持ったきっかけなのかにゃー。複雑で意味がわからない動きをする機械式の道具は、案の定故障する。処刑を観察する人にも、処刑を実行する人にも、処刑される人にも、それぞれの思惑はまったく理解できない。処刑される側からみたら、リチャード・フラナガン『グールド魚類画帖』みたいになるんじゃろか。

『観察』 各社テンデバラバラに出している短篇集でそれぞれ読んだことがあるかもしれないけど、あんまり印象にない。てゆうか、あんまりおもしろくない。

『火夫』 出だしだけはすごくよく覚えてる。そういえば、長篇だと『失踪者』だけは読んでないんじゃよねー。自称虐げられている火夫のために空回りするぐらい頑張っていたら、いつの間にか全然関係ない要因で自分が話題の中心になってしまってギャワー。祝福ムードの中で退出はしたけれど、残された火夫が気になりすぎるのがわかりすぎる。誰もが敢えて問題にしないだけで、完全に忘れたわけじゃないんじゃよねー。