若島正編 異色作家短篇集18『狼の一族』 早川書房

若島正編 異色作家短篇集18『狼の一族』 早川書房


狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇 [異色作家短篇集] (異色作家短篇集 18 アンソロジー アメリカ編)
狼の一族 アンソロジー/アメリカ篇 [異色作家短篇集] (異色作家短篇集 18 アンソロジー アメリカ編)若島 正

おすすめ平均
starsベテランの職人芸に酔いしれる、高品質の短編集
stars11人の小宇宙

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収録作品:フリッツ・ライバー『ジェフを探して』/ジャック・リッチー『貯金箱の殺人』/チャールズ・ウィルフォード『鶏占い師』/ハーラン・エリスン『どんぞこ列車』/ロバート・クーヴァー『ベビーシッター』/ウィリアム・コツウィンクル『象が列車に体当たり』/ジーン・シェパード『スカット・ファーカスと魔性のマライア』/R・A・ラファティ『浜辺にて』/ジョン・スラデック『他の惑星にも死は存在するのか?』/トーマス・M・ディッシュ『狼の一族』/アヴラム・デイヴィッドスン眠れる美女ポリー・チャームズ』

メモを取らなかったのがあまりにも惜しかったので、メモを取るために再読。「若島正が、アメリカの作家という枠組みで、奇妙な味、おもしろいと思った変な短篇」というくくりだけであり、そんなにもどうにも恣意的なセレクションは圧倒的に正しい。作品単体でものすごく好きなのはなかったのだけれど、このアンソロジー自体が好きすぎる。ひとりの作家の短編集じゃなくて、作品や作家が編者の趣味で偏りまくっているアンソロジーばかり読んでいたい。

フリッツ・ライバー『ジェフを探して』 他の人から見えないボビーが見えていたばかりに馬鹿にされていたパプス(「マリファナ吸ってるんちゃうん?」とか言われる)が、事件が解決したあとでは、したり顔でその顛末を客に話して聞かせるという〆が好き。

ジャック・リッチー『貯金箱の殺人』 「おじさんはプロの殺し屋ですか」という奇妙な問いかけから始まる話に惹きこまれてしまうからおそろしいぜ。殺し屋ではない大学教授のところに、その教え子の子供が殺人依頼に来るという奇妙な話だけれど、突飛さはあんまりなく、飄々と話が進んで納得のいくオチにつながるところが、おかしくて楽しい。これでジャック・リッチーに興味を持ってジャック・リッチー作品の短篇集『ダイアルAを回せ」を読んだけど、ジャック・リッチーばかりだと意外とあんまりおもしろくなくてガッカリしたりもした。

チャールズ・ウィルフォード『鶏占い師』 占いとかおまじないと人間の信心の関係性って、 ライバー『妻という名の魔女たち』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200401.html#19_t1)を思い起こさせるね。不吉な鶏占いをウッカリ信じてしまったこと、そのカラクリを知らされて激怒するところ、命が助かりけっきょくおまじないグッズを信じること、その気持ちの変転が楽しすぎる。胡散臭い占いも、その裏のカラクリ(と思われるもの)も、どちらも一見もっともらしいのだから、人間は信じたいものを信じるしかない。個人に対しては「客観的な正しさ」なんて、実はあんまり意味がないような気がする。お守りを買うぐらいのささやかな代償で安心を得られるのなら、安いものなのかもしれない。鶏占い師のビックリするぐらい胡散臭い態度と、ウッカリひっかかる語り手の対応がおもしろすぎる。

ハーラン・エリスン『どんぞこ列車』 エリスンってこんな話書いてたんだ。チンピラ小悪党が犯す殺人の顛末が、最初示された結末からちょっとずれた事実に進んでいくところがすごくいい。カモってやろうと近づいたバカップルのピンチを、ついウッカリ助けてしまうチンピラの気持ちがわかりすぎる。

ロバート・クーヴァー『ベビーシッター』 クーヴァー大好き。ものすごく実験的なことをしているくせに、実験の舞台になるシチュエーションがものすごくアホなところがいい。複数の視点から事実を組み立てようとすると、どうしても辻褄が合わなくなってしまう。時系列をずらしたり、同じシチュエーションに別に事実を示したり、各シーンが矛盾した映画を見ているようであり、その矛盾が楽しい。そして、「サボってるであろうベビーシッターが風呂に入っているところを、ウッカリを装って覗いてやろう」と思ってただけのタッカーさんは気の毒すぎる。なんでバスタブで子供とベビーシッターが死んでいるのかとか、そういうようなことが言いてえ。強いて言えば、酔っ払って帰宅したら自宅がえらいことになっていたタッカーさんが、混乱する意識の中で、矛盾を孕みながらどうにか「事実」を組み立てようとしたのが『ベビーシッター』なんじゃろかー。混乱した意識がシーンの混乱につながると考えると、ちょっと オーツ『ブラックウォーター』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200308.html#11_t1)みたい。

ウィリアム・コツウィンクル『象が列車に体当たり』 比喩ではなく直球そのままのタイトルであり、話の筋もそのままなのでビックリしますね。列車をでかい蛇と勘違いし、敢然と立ち向かう森の王者である象。てっきり列車に衝突した象が死んでしまうのかと思って読んでたら、ケチな小細工一切なしで、真っ向勝負で列車に勝ってしまうのがすごすぎる。そりゃ愛人の雌牛も惚れ直して、そっとお尻を差し出すわさ。

ジーン・シェパード『スカット・ファーカスと魔性のマライア』 このアンソロジーの中では一番の拾いものじゃろかー。子供のころに流行った駒回しを、甘いだけのノスタルジックな視線ではなく、真剣勝負の戦いとして回想しているところがすごすぎる。子供の子供らしい行動を子供としてとらえず、意思を持った大人のそれとして描写しているところは ミルハウザーエドウィン・マルハウス』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200105.html#28_t1)を思い出させる。筆致はぼやけることはないが味気のないレポートではなく、むしろすさまじいまでの熱気で一気に読ませるところは、ある種のスポーツジャーナリズムなのか?(よく知らない) マライアとウルフの伝説的な勝負には、伝説的なオチがつくところもすごくいい。子供のころの思い出を熱く綴っているからこそ、このオチが栄える。

R・A・ラファティ『浜辺にて』 ラファティは好きだけど、なんかなにをどう言えばいいかよーわからん。おもしろかった。

ジョン・スラデック『他の惑星にも死は存在するのか?』 解説でも触れられているけれど、作品を読んだことがない人にラファティスラデックの説明をしたら、たぶん同じ作風の作家と取られてしまうのだろうけれど、実際には全然違うからおそろしいぜ。最初からウケ狙いの馬鹿じゃなくて、各要素を突き詰めていくと、とてつもなく馬鹿になってしまうところがすごすぎる。おそらく、狂人の論理(狂人だからっ、てまったくすべてが脈絡がないわけではなく、狂人なりに筋道を通して狂っているのだ)を、正常な頭脳で突き詰めて考えているからだと思う。普通の人がテキトーにいい加減にしてしまうところを、ちゃんと考えてしまうからなんじゃろか。

トーマス・M・ディッシュ『狼の一族』 御伽噺のような悲劇のようなアホ話のような、変な話で好き。つまり、狼人間だからって、人間の妻と狼の妻を持つことはただの不倫であり、不倫が露見したらものすごい勢いでひどい修羅場になり、それは倫理的にも物語的にも当然の報いなのだ。 佐藤亜紀『モンティニーの狼男爵』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200501.html#24_t1)は、人間の妻に冷たくされたからって、うっかり雌狼に手を出さなくてよかったねと思った。

アヴラム・デイヴィッドスン眠れる美女ポリー・チャームズ』 お話の筋もさることながら、エステルハージ博士が活躍する舞台スキュティア−パンノニア−トランスバルカにア三重帝国の習俗が楽しすぎる。ナボコフは短篇『ベルリン案内』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200407.html#10_t1)で、「小説内の都市の描写は未来の小説家のための史料なのだ」と書き手に言わせていたけれど、まったくその通りじゃよねー。架空の国の架空の都市の架空の風習にうっとりしてもうたー。アンソロジー『不思議な猫たち』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200506.html#28_t1)に収録されてた『パスクァレ公の指輪』も素敵だったし、エステルハージ博士が出てくるシリーズだけで短篇集編んでくれないかにゃー。