ウラジミール・ナボコフ『ベンドシニスター』 みすず書房

ウラジミール・ナボコフ『ベンドシニスター』 みすず書房

ベンドシニスター (Lettres)
ベンドシニスター (Lettres)Vladimir Nabokov 加藤 光也

おすすめ平均
stars暴力によって蹂躙される人間の心情と苦悩
stars平民

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

全体主義警察国家に囚われたある哲学教授の悲劇、と書いてしまえばそれまでの話であり、それ以上はないのだけれど(少なくとも、ディストピア小説としては読めなかった)、ナボコフはこの薄暗く残酷なお話を、あの手この手で煌びやかにとてつもなく美しく飾り立ててしまうからすごすぎる。

架空の国の架空の独裁者といえば、短篇 『独裁者殺し』『孤独な王』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200606.html#19_t1)を思い出す。独裁者や全体主義警察国家のエピソードが、おそろしくも滑稽なのは同じだけれど、『ペンドシニスター』では主人公アダム・クルークが笑えない冗談にひたすらつき合わされているところが、おもしろくも悲しい。

効率化を目指す全体主義国家が、その強大な力を持て余し、ものすごく稚拙な方法を採っているのがおもしろすぎる。橋の両端に兵士を置いていて入口か出口一方の通行許可証を失くすと橋から出られない(「お前は橋の上で生まれたのか」とか真顔で聞かれる)、名前を間違えて全然違う人間を連れてくる( 『未来世紀ブラジル』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000657R7I/vain-22/ref=nosim)みたい)。効率化を追求すると、ものすごく非効率的になり、すさまじく非人道的になっていく。 

サルマン・ラシュディ『ハールーンとお話の海』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200404.html#20_t1)の中で、酷い破壊行為を目撃した主人公が「まったく最悪のことが、こんなにもふつうに退屈そうにおこなわれているなんて」と驚いていたことを思い出す。クルークの息子のダヴィットは、名前を間違えられておそろしい収容施設に送られ、そこで青少年を更生させる実験のため殺され、名前を間違えたまま葬儀を出される。お役所仕事にありがちなミスを経て、ダヴィットは当たり前のことを当たり前に執行する国家のシステムに殺されてしまう。

クルークを追い詰める国家の犬どもが、ビックリするぐらいバカでビックリしますね。クルークや友人たち追い詰められる側は年が行ってて、追い詰める側は若者ばかり。ちょっとしたバーティーのついでにクルークの友人を逮捕しにくる。若者たちは満足に読み書きも出来ず、上からの指示の内容をすぐ間違える。間違えるとどうなるかというと、すぐ粛清。かわりの若者が意気揚々と後釜に座るけれど、またしくじってすぐ粛清。さっきまで元気に国家の犬をやってた人の名前の上に、次のページでは「故」がつくぐらいのすごいスピードで粛清の嵐。責任を取らせているようで、実はまったく誰も責任をとっていないところがおそろしいぜ。自信にあふれる若者たちはバカなので、粛清の嵐が自分に及ぶとは思っていない。気がつくと粛清されている。 いったいこのシステムで、誰が得をしているんじゃろかー。

独裁者パドゥク自身は、均等主義という名の全体主義国家、残酷で滑稽で、効率的に非効率な、真面目なのにバカ丸出しのこの統治システムに、いったいどこまで関わっているんじゃろかー。パドゥクとクルークの会談で、クルークが無礼な行いをすると警告するのは、最高権力者パドゥク自身ではなく会談を盗聴している連中なのだ。

冗談みたいに大仕掛けな全体主義警察国家の仕掛けって、ある種の処刑道具とか拷問道具に似てるんじゃよねー。まさかそんな!というような残虐極まりない行為が、おそろしく滑稽に、しかし確実に実行される。寸前までは誰もが現実に思えないような突拍子もないことが。

過去を妻オリガ、未来を息子ダヴィット、現在をクルーク自身と見るのはあまりにも安易なのかもしれないけれど、不確かな現実の中でたまに見えるオリガとの思い出やパドゥクとの学生時代にしても、灰色の現実ではなく色彩が見えるようで美しい。過去である妻を亡くし、未来である息子を殺されたクルークが狂ってしまうのは、今までのクルークの人生を綴ってきた作者の優しさだと思う。最後に、彼はつらい現在=自分自身から解き放たれた。パドゥクに向かって行ったのは、独裁者を殺すためではなく、子供のころのようにいじめにいったのだ。作者はクルークを逃がしてあげたのだと思う。時にはクルーク自身になりきり、時には突き放し遠くから眺め、運命に翻弄されたアダム・クルークの人生を綴ってきた作者(ナボコフではないかもしれない)は、それが真実なのかはともかくとして、作者が信じたいように、クルークを苦しみの中ではなく歓喜の中で旅立たせてやったのだと思うことにする。

ナボコフさんは相変わらず脚フェチでいらっしゃる。艶かしい脚の描写と同じくらい艶かしいのがガラスや蛾の描写なのがおもしろいね。ナボコフは自分の目しか信じていないので、ナボコフが己の目に映るものを描写すると、普段の僕が全然興味がないものでも、途端に美しく輝きだすからおそろしいぜ。

ダヴィットが収容所に入れられて悲しい運命が待ってるところって、もしかして 『パスカの羊』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4778320514/vain-22/ref=nosim)じゃろかー? さすがナボコフ! 変態すぎる。