ローズ・イン・タイドランド

上映してる映画館を調べたらみなみ会館しかなかったので、わりとビクビクしながら見に行く。案の定、システムがサッパリわからず、受付の兄ちゃんから溜息交じりの説明を受けてみたりもした。そうか、外の券売機でチケット買えばいいのか。で、料金バラバラなんですけど、どれを買えばええんじゃろか? ……よし、みなみ会館は十分にうれしかった!(負け惜しむ)
映画の感想は、ローズ役の女の子かーいーよー! 以上。だと、せっかくみなみ会館まで行った甲斐がないので、感想をメモしておこう。
両親ともにひどいジャンキー(ローズは父親が打つヘロインの準備をテキパキこなしている)という家庭環境。母親がオーバードーズで死んだあと転がり込んだ父親の故郷には、売春で糊口をしのぐ剥製師(過去、父親と関係があったらしい)とその白痴の弟(父親の母親から性的なイタズラをされてたっぽい)しかいない。父親もさっさと薬のやりすぎでくたばり(しかも変態姉に剥製にされる)、変態姉弟に養ってもらうことになるローズ。でも、ローズの壮絶な生活が悲惨に見えるかというと、そうでもないのがふしぎ。悲惨極まりない悪夢のような生活がそれなりにファンシーに見えるのは、ローズが『不思議の国のアリス』を愛読しているからじゃろかー。ローズの生活は、不思議の国と同じくらい不思議で、アリスの冒険と同じくらいナンセンス。ときどきお話し相手の人形の頭が瞬きしたりはするけれど、基本的にはローズ視線の幻想的な風景はないのに、無軌道一号線を怒涛のオフビートでその日暮らししているローズの日常そのものがどうしようもなく『不思議の国のアリス』になっているところがすごいと思った。時間は進むのに、進めるべき物語らしいものがあんまりないところとか、起きるべき「なにか」は突然始まって唐突に終わるところとかも。
不思議の国のアリス』から引用されているのが、アリスがうさぎの穴に落ちるところだけというのも示唆的なんじゃろかー。リスが意味ありげに穴を出入りしてたり、うさぎの穴に大事な人形の頭を落としたり。スティーヴン・ミルハウザーは『アリスは、落ちながら』で「穴に落ちるという行為そのものが冒険の本質である」と喝破していたけれど、『ローズ・イン・タイドランド』も落ち続ける映画じゃよね。ローズの転落人生。アリスは歩き回ることで周りにいろんなものが現れるという冒険で、ローズはそこにいるだけなのに周りにどんどんいろんなものが現れるという冒険。
おかしな人たちの口に出せない習慣や不自然な行為を、彼ら視点の彼らの頭の中にある美しいファンタジーではなくて、あくまで客観的に見せているところが好き。デルが眠っているだけだと言い張ってもデルの母親はどう見ても出来の悪い剥製だし、ディキンズが船長を務める潜水艦はガラクタの寄せ集めに過ぎない。ファンタジーのよりどころになっているガラクタを、そうゆうものが彼ら自身の目にどれだけ美しく映っているかではなくて、薄汚い彼ら自身を含めてありのままに映すことで、映像そのものがとてつもなくファンタジックになっているところがすごくいい。ガルシア=マルケスマジックリアリズムすぎる原作を見事に映像化した映画版『エレンディラ』を思い出した。
ローズの親父ってどこかで見たことあるなーと思ってたら、ジェフ・ブリッジスだった。『ビッグ・リボウスキ』の頃から派手さはないが上等なダメ人間ぶりに定評がある。