妖怪大戦争

帝都物語』大好きっ子(『帝都大戦』はパス)としては、なんで加藤保憲役が嶋田久作じゃないのかとか、そういうようなことが言いてえ。でも、映画のテイストの違いを考えれば、豊川悦司加藤保憲もこれはこれでー! 栗山千明との絡む場面を見ていると、嶋田久作よりも豊川悦司の艶っぽさのほうがよかったのかもと納得できる。『妖怪大戦争』の加藤保憲平将門の生まれ変わりというわけではないらしいノデ、きっと昭和天皇が生き胆を喰って長生きしたりだとか、真夜中になると自転車暴走族が人を轢き殺したりしていないパラレルワールドということでよしとする。ってゆうか、豊川悦司栗山千明が出てるシーンと、珍妙妖怪大集合のシーンと、とても同じ映画だとは思えねーからおそろしいぜ。
エロいエロいとは聞いていたけれど、ここまでエロいとは思っていなかったのでエロい。なぜ栗山千明を映すときはいちいちパンツ→胸元とカメラがパンしますか?(しゃがんでいるときに捲くれ上がっていたスカートが、立ち上がるとずり落ちるところが好き) そして、川姫は「濡れ太股」(または「ローションべったり」)に改名したほうがいいと言い切れる。ショタっ子が特攻服(背中の「麒麟送子」が暴走族チック)に着替えるシーンのエロさはなんなんじゃろかー。ぴっちりしたショートパンツがいやらしい。あと、ろくろ首に舐め舐めされてーと思った。舐めてー。舐めさしてー。
妖怪のやる気のなさがおもしろいね。集まった妖怪たちは、東京を破滅させようとする加藤保憲の野望を知って怒りを顕にするが、顕にするだけなのでビックリしますね。東京が滅びるのはいやだけど、それがどうかしたかい? ってゆうか、戦闘能力に欠ける日本の妖怪たちに戦えって言ってもにゃー。唐傘お化けの「俺、傘やし」や、塗り壁の「俺、壁やし」は妖怪の本質を鋭く突きすぎ。ってゆうか、総大将がぬらりひょん(勝手に家に上がり込んで偉そうな顔をする)という時点でわかっていてしかるべきだったのだ。しかしその一方で、なんとなく巻き込まれてしまう妖怪もいたりした。「タダシくん、オレはここで小豆を洗うことしかできない。だが、君には、君にしかできない。君ならできることがあるはずだっちゃ」 ラム先生口調で加持リョウジ先生のセリフを引用する小豆洗い先生!
相変わらず三池崇史監督映画のオチはいろんな意味でひどいにゃー。あまりにひどすぎておもしろすぎるから性質が悪いんじゃよねー。途中何度か邪魔が入りながらもわりとシリアスな雰囲気を保っていた豊川悦司すら最後の最後でシリアスなままで笑いの犠牲ですか。ってゆうか、加藤保憲の計画は失敗したけれど、結果的には目的は達成しちゃったんじゃないじゃろかー。
加藤保憲とアギ、タダシと川姫、佐田と小豆洗い、それぞれまったく違う思惑と空気を持った人々(妖怪)が、ついうっかり一堂に会してしまうシーンが好き。他人がシリアスな事情にいようが、そんなことは知ったことではなくこっちにはこっちのシリアスな事情があるのだ、当人にとってはシリアスでも他人から見れば失笑を禁じえないような場違いなことではあったのだとしても。そして、自分のシリアスな事情が一番シリアスであり最も重要だと思い込んでいるヤツが、他人のシリアスな事情のとばっちりでうっかりすべてを台無しにされてしまうというどうにもこうにも間抜けな展開はおもしろすぎる。サウンドノベル『街』でいうと、転がってきたミカンのせいで実存的不安に駆られれてバッドエンドになるのが市川のクライマックスみたいなものじゃよ。
あと、子供のころ見ていたアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(夢子ちゃんが出てくるヤツ)のエンディングの妖怪イラストが本気でこわかったことを思い出してみたりもした。とくに、イントロのおどろおどろしい部分とマッチングしていた巨大人面蟹(蟹坊主というらしい)は今でもわりとイヤ。