山形浩生J・G・バラード『コンクリート・アイランド』の解説で

 バラードの小説はぼくたちが世界に対して抱いている、新しい欲望を指摘してくれる。ぼくたちが意識していなかった新しい欲望をかれはいくつも指摘してくれた。それはサドやマゾッホが、もやもやと存在していたある種の性的欲望の形を『発見』し形式化し、それを発明したのと同じだ。

と書いていたけれど、「ぼくたちが意識していなかった」「もやもやと存在していたある種の性的欲望の形を『発見』し形式化し、それを発明」したものが、『萌え』という概念じゃないんじゃろかーとなんとなく思った。アニメやゲームのキャラクターに対する性的欲望は『萌え』という形で発見され形式化され発明されることで、人間が本来持っている欲望のひとつとして計上されてしまった。つまり、他人を痛めつけたり他人から痛めつけられたりして欲情することが「発見」されたのと同じように、人間は二次元のキャラクターにも欲情しうることが「発見」されたのだ。目を背けるべき人間の闇の部分だったはずのサディズムマゾヒズムが今やお手軽な性格分類の一種として陳腐化したように、『萌え』という概念も急速に陳腐化し、人間が本来持っている(最近「発見」された)欲望のひとつとして受け入れられつつあるような気がする。人間は自動車事故に欲情することをバラードが『クラッシュ』で発見してしまったように、人間は妹に欲情することを我々は『シスタープリンセス』で発見してしまったんじゃよー! あと、ママ先生とか擬似姉妹とか。『双恋』はいまいち萌えないので、人間は双子には欲情しないらしい。
 つまり、バラードの次の作品は萌え業界を巡る強迫観念じみた小説に違いないんじゃよ? バラードの考えるイヤすぎるほどコテコテな萌えキャラってどんなんかなーと想像するだけで萌える。たぶん、ロナルド・レーガンエリザベス・テイラーと死亡した宇宙飛行士と燃えあがる飛行機パイロットが攻略可能なエロゲーが出てきたり、イベント限定品を求めて行列していると先頭のほうと後ろでなんとなく身分格差が出来て原始的な戦闘にもつれ込んだり(『ハイ−ライズ』)、無限に広くなるイベント会場で迷ったり(『未確認宇宙ステーションに関する報告』)、イベント会場に行くまでの電車をいくら乗り継いでも出発点に戻ってきちゃったり(『大建設』)、集団でイベントを渡り歩いている間に蛮族の民族大移動みたいに野生化したり(『世界最大のテーマ・パーク』)、変な情報に騙されてそのままレミングみたいに海に突っ込んだり(『爬虫類園』)、イベント会場がヴァーミリオン・サンズにあったり、イベントの設営と撤収をひたすら淡々と描写するだけだったり(『溺れた巨人』)するんじゃろかー。読みてー。