アメリ

 乙女ちっく映画だと聞いていたので森茉莉みたいな耽美なかんじなんじゃろかーと思ってみたら、全然違った。なるほど、妄想方面で乙女ちっくなのか。現実に向き合えない女の子がひたすら妄想に逃避し続けるのかと思ったら、アメリは自分だけの妄想ストーリーを、自分でフラグを立てて自分で回収して現実世界で実現してしまうので行動的すぎる。行動する方面がものすごく間違っているような気がするけれど、自作自演が見苦しくないのが乙女の特権なノデことさらに悔しいー! 他人の恋愛イベントとかしあわせイベントのフラグ管理どころか、自分の恋愛まで自分でフラグ管理してしまうからおそろしいぜ。
 自分の策略で次々にしあわせになってゆく周りの人たちの様子に「これ、何もかも、人の心を流し動かす策士の技なり。グェへへへへ」とほくそ笑むが、ことが自分の恋愛になると、自分でいろいろ準備して素敵イベント(一部マニヤ向け)を用意しても、いざとなると直面するのを避けてしまうリトルおろかなアメリ。なるほど、乙女ちっくだ。臆病なアメリの背中を押すのは、彼女が唯一用意しなかったイベントであり、それですべて丸く収まってハッピーエンドなところがいいね。絵に描いたようなハッピーエンドになるのは、絵描きのおっさんが協力したからに違いないんじゃよ。
 最初にうるさいくらいナレーションが入るところがポイントじゃろかー。アメリの乙女ちっく妄想(岡本夢路の「……なーんてね、ふふ」みたいに、日常的であると同時にわりと突飛)をアメリの主観的な映像で混ぜ込みながらも落ち着いて見れるのは、小説で言うと地の文のような客観的な解説(ナレーション)が入るからであり、ナレーションが減っていってもアメリの妄想シーンはなんとなくすぐわかるんじゃよねー。ナレーションがなくなっても、ナレーションの代わりに視聴者が頭の中で自前の解説を入れるから落ち着いて見てるのかしらん。
 アメリの妄想とか策略って、榎本俊二『えの素』を実写にしたようなかんじじゃよねー。八百屋のおっさんがアメリにいたずらされるところとか(靴クリームと歯磨きのチューブが入れ替えられていて「ギャー」と叫ぶシーンが遠景のアパートなところが特に)、ストーカーとタバコ担当がトイレでセックスしていると振動で棚においてあるものが落ちそうになるところとか。これは『アメリ』の妄想描写がギャグアニメじみているというよりも、榎本俊二の作風が乙女ちっくなのだと断言できる。イエーイ! バッバッ! あと、ストーカー男が何かというとすぐテレコに録音するところは田村さん?