寺田屋の側を通ったら観光客で満員御礼であり、台風一過で青空が広がっていることだし、おつねさんに倣って(ルートが逆だけれど)このまま自転車で壬生寺まで行くことを思いつく。学生時代の先輩には、伏見桃山から今出川まで自転車で通っていた先輩とか、太秦から田辺まで自転車で通っていた先輩とかいたし、これぐらい楽勝なんじゃよ? でも二人とも留年してたことを思い出したのは、照りつける日差しがヒリヒリと痛み出した京都南インターチェンジ付近なのでした。思いつくのはいいけれど、いざ実行するときのことを考えなかったのが失敗だったのだと断言できる。
 ペットボトルのお茶をぬるま湯に変えながら壬生寺に到着。寺田屋の観光客は老夫婦が多かったのと比べると(伏見近辺は造り酒屋のバスツアーがあるノデ)、壬生寺は若い観光客が多い。一年前に来たときには修学旅行生と思しき中高生しかいなかったけれど、大河ドラマ新選組!』の影響なのか、大学生〜20代前半くらいの若者が多いような気がする。あと、中年サラリーマン風の人も多かったのが意外。変な土産物屋も増えているような気がしないでもないが(新選組ピンバッチとかあって、京都人の商魂の逞しさには恐れ入るばかり)、観光客が増えたおかげで道案内がしっかりしており、普通の住宅地の中だから見つけづらくて辿り着けなかった光縁寺にも楽に行けた。
 光縁寺の表門は閉ざされていて、横の小さな扉を開けて入る。名目上は墓参りであり自由に出入りは出来ないことになっているけれど、実質は参観料として百円払えばいいみたい。あと、追加で五十円払って線香を買うような雰囲気なので線香を買って、本堂の裏手にあるお墓に向かう。平日にも関わらず、山南効果でけっこう賑わっていた。せっかく住職さんが新選組との縁とか説明していたのに、暑さにやられてクラクラしていたのであんまり頭に入らなかった。もらった説明書きをあとから見直したら、蔦山武八郎や野口健司や河合耆三郎も光縁寺に葬られていたらしい(高台寺派の墓のように改葬されたかもしれないけれど)。あと、奥にあった沖田家縁者の墓というのは八木さんの家のひでちゃんのことじゃろかー(馬鹿はフィクションと史実を混同した)。
 山南敬助(敬介)の墓は線香立てが三つもあって大人気だし、順番待ちで並んでいる人もいるので、隣の隣にある松原忠司(今週目出度く死亡フラグ成立)とその他大勢の隊士の墓石に線香を上げて帰る。
 余裕があったら黒谷本陣(金戒光明寺)にも足を伸ばそうかと思っていたのだけれど、このままだと死ぬので中止。本でも読みながら休憩しようと立ち寄ったスターバックスで、キャラメルフラペチーノを一心に啜り上げつつ宙を見据えて微動だにしない自分を発見したノデ。