今は酔っているし、酔っていることを理由にするにしては鮮やかなキータッチで当時を回想するだけの余裕もあることだし、もうちょっと続けてみることにする。以下は、相手の都合とか気持ちをまったく無視して、こっちの都合とか気持ちだけの一方的な垂れ流しなので、まあそういうことなノデ。
 やっぱりなー、「ぼく、あなたのファンなんです!」という関係を最後まで壊せなかったことがよくなかったなーと思う。当時のテキストサイト(今はどうゆうんだか知らないけれど)は本当に才能を持った人が何人もいて、ぼくは彼らの作品を見てみたいただのファンに過ぎなかった。それがメールのやり取りをするうちになんだか実際に会うことになってしまって、それは嬉しいことだけれどなんか違うような気がしていたのだけれど、でも実際に会ってみるという誘惑には勝てなかった。
 ぼくはそもそも、彼らと友達になろうという気がなかったのかもしれない。なにもかもが違っている彼らと友達になれるわけがない。当時はなんとなかなるだろうと漠然と思っていたし努力もしただろうけれど、今はわかる。彼らとの接点はかつてなかったし今もない。ただ、彼らとなにかを「つうじて」いたかった。その方法を間違ったのかもしれない。
 はてなダイアリーで当時と変わらぬ、いや、今はもっと過激になった彼の「日記」という名の作品を読むことが出来る。でもぼくが読みたいのは当時も今も、「日記」ではなかった。青白いモニターに横書きで表示されるフォント群ではなく、製本された縦書きの活字だった。虚構と現実なんていう私小説(ポスト・モダンなんて言い方のほうがお好みか?)の枠組みに取り込まれてしまうような貧弱なフィクションとしての「日記」ではなく、時代の流れや読者の好みなど無視して有無を言わさず屹立するフィクションとしての「小説」だった。当時も今も、彼には「小説」が書けるはずだ。ならばぼくは、彼に対して「ファンです」という態度を貫き通すのなら、ぼくが読みたかったのは彼の「日記」ではなく「小説」だということを伝えておくべきだったのかもしれなかったなーと思った。そうしたところで何かがどう変わったかなんて思いやしないんだけど、一応。後悔するのは酔ったオッサンの特権なのだから。