ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』 国書刊行会

ふくろうの眼 (文学の冒険)

ふくろうの眼 (文学の冒険)

配達する郵便物を片っ端から読んでしまう配達人のとめどのない告白と、配達人の人生や読んだ配達物にまつわる掌篇それぞれが緩やかに関連を持ったり持たなかったりで、最初のほうはおもしろく読んでいたのだけれど、最後のほうはなんだかわからなくなってギャワー。「ふくろうのはしがき」で言われているように長篇ではなく、郵便にまつわる変な短篇集として読んだほうがしあわせみたい。

なんとなく古風な雰囲気で始まっているから第二次大戦前後に書かれた小説かと思ってたら、読んでいるうちにわりと最近のこと(と言っても、東西ドイツがあったころだけれど)にも触れられていて変なかんじ。話の時系列が過去から未来に流れているわけではないのだけれど、読んでると次第にナチとかわりと新しい話題が増えてくるからおそろしいぜ。

おとぎ話の雰囲気が次第に現実味を帯てくるところは、現実の物語がおとぎ話に取り込まれるミシェル・トゥルニエ『魔王』の反対かにゃー。現実と象徴という意味でのナチの扱いも正反対なかんじ。

解説でも触れられているけど、語り手が郵便配達員なのがおもしろいね。責任を持って配達するには、責任を持って内容もバッチリ知っておかなくてはいけない。トマス・ピンチョンが『競売ナンバー49の叫び』で謎の郵便配達組織を幻視したように、メッセージを運ぶ郵便屋さんはどこか謎めいている。彼らは情報を運ぶことで管理しており、わざわざ調べるまでもなくそのすべてを把握していたとしてもまったくおかしくはないのだたぶん。すべてを知る郵便屋さんだからこそ紡ぐことのできる物語があるのだろう。守秘義務やら楽しみのために口外できない、すべてを知ってるが故に絡まった物語が。

郵便屋さんは、その職務の性質上絶対に秘密を知ってしまうが、その職務の性質上仕方ないしそこで終わる安心感がある。役所の戸籍係が秘密に近づくとジョゼ・サラマーゴ『あらゆる名前』みたいなスラップスティックになるからこわいにゃー。役所の夢係だとイスマイル・カダレ『夢宮殿』だし、やはり、他人の秘密を知る公務員は郵便局員以外は許せんとわかった。

ボルヘス不在説は納得できすぎる。ビオイ=カサーレス『モレルの発明』のボルヘスによる前書きは確かに誉めすぎであり、つまり、ボルヘスとはビオイ=カサーレスのデッチ上げだったんだよ! なんだってー!(馬鹿はすぐに騙される) 『モレルの発明』読み返したいにゃー。