ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』 岩波文庫

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』 岩波文庫

伝奇集 (岩波文庫)
伝奇集 (岩波文庫)鼓 直

おすすめ平均
stars未来を予言した本
stars無限の迷宮
stars翻訳が……
stars小説のおもしろさ、読書の幸福
stars難著ですが、それだけに本質に訴えかけてきます

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収録作品:トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス/アル・ムターシムを求めて/『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール/円鐶の廃墟/バビロンのくじ/ハーバード・クエインの作品の検討/バベルの図書館/八岐の園/記憶の人フネス/刀の形/裏切り者と英雄のテーマ/死とコンパス/隠れた奇跡/ユダについての三つの解釈/結末/フェニックス宗 /南部

あれ? ボルヘスってこんな感じだっけ? もうちょっと、こう、なんていうか、満たされない読書欲(今だからわかるけど、手持ち不沙汰なときに、酒を飲みたくなるような)を補ってくれるはずなのに、いまいちなんかが足りない。てゆうか、なんか頭にぜんぜん入ってこなかった。

アルコールに冒された記憶では『砂の本』が一番好きなんだけど、あえてもう読み返さないほうがいいのかにゃー。『エル・アレフ』『伝奇集』と読み返してこの程度のうれしさでは、「無人島でもボルヘスさえあれば生きていける」と思い込もうとしていた覚悟というか錯誤が、すべて揺らいでしまう。過大な期待(信頼というには、僕はボルヘスを知らなさすぎる)を負えるだけの力量を持っている、と万人に薦めることは、もう出来ないかもしれない。でも、僕はボルヘスが大好きだし、ボルヘスが大好きなことだけは、今までも、今も、今からも、ずっと変わらない。

『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』 百科事典に偽の項目が書き加えられているところから、架空の国を歴史から捏造してそこここに散りばめようとする秘密結社の存在が仄めかされるのって、ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』の元ネタ? 捏造しようとする人たちが、チームで作業するとあんまりおもしろくなくて、個々人が好き勝手にやるといい感じになるというのはわからんでもない。統制されたものなんておもしろくないもんねー。

『アル・ムターシムを求めて』 今は、この辺の「架空の批評によっって書かれざる作品の意図を示す」系の作品のよさがあんまりよくわからない。

「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」 今は、この辺の「架空の批評によっって書かれざる作品の意図を示す」系の作品のよさがあんまりよくわからない。

『円鐶の廃墟』 想像の中で人間を作り出すのは、 ミルハウザー『ロバート・ヘレディーンの発明』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200303.html#06_t2)とか、レム『ロビンソン物語』とか、想像のみで人間を作ってしまう話が大好物なので満足。鏡と交合は人間の数を増殖するがゆえにいまわしいというけれど、鏡も交合もなくても勝手に増えちゃうのでおそろしいにゃー。

『バビロンのくじ』 籤が人の運命を左右する世界って、 ディック『偶然世界』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200012.html#28_t1)? 籤が全生活に及ぶことで、人々がどんな物事も「籤に書いてあるから仕方ないよねー」と受け入れてしまうところが好き。籤を発行管理する講社が存在してもしなくても、籤のもたらす託宣だけは確実に存在する。神が存在してもしなくても、籤の結果(想像されうるありとあらゆることが書いてある)だけは確実に存在するように。

『ハーバード・クエインの作品の検討』 今は、この辺の「架空の批評によっってかかれざる作品の意図を示す」系の作品のよさがあんまりよくわからない。

『バベルの図書館』 アルファベット25文字(ラテン語?)の順列組み合わせで書かれているすべての本が収録されている図書館って、例の「猿にタイプライターを与えたら、いつかシェイクスピアだか聖書だかを書き上げる」ってやつなのかにゃー。表音文字の世界なら馴染みやすいんだろうけれど、漢字という表意文字混じりの文章で読んでいるといまいちわかりづらいかにゃー。

『八岐の園』 無限の可能性を有する小説って、選択肢次第でさまざまなルートに分岐するサウンドノベルのことじゃよね? 『街』をやらせたら感動してくれるかにゃー。サウンドノベルが廃れたのは、膨大な量の物語を維持管理する手間が大変だからだったんだろうなあ。ところで本作品に出てくる事件の謎の真相だけれど、もし犯人が告白しなかったのならば、 シュロック・ホームズ(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200504.html#09_t1)に御足労願うしかない難事件だったと思う。こんな素っ頓狂な暗号が真相だったなんて!

『記憶の人フネス』 絶対物事を忘れることが出来ない人の思考なんて、ものすごい勢いでいろんなことを忘れていくぼく(たとえば、ボルヘスのこの短篇を何度も読んでるし、数日前に読んだばかりなのに、もう忘れつつある)にはサッパリわからねー。フネスの数え方が異様すぎておもしろい。数という概念が存在せず、数字それぞれに対応した言葉で覚えている。

『刀の形』 恩知らずの糞野郎が語り手であることは薄々わかっているのだけれど、最後に糞野郎が自ら告白しちゃうあたり、糞野郎の糞野郎っぷりを強調していておもしろい。

『裏切り者と英雄のテーマ』 裏切り者と英雄という相反する要素をひとりの人間が抱え込むことが出来るのがおもしろい。あらゆるところで暗殺の前兆が見られる中で、英雄=裏切り者は予定された処刑=殉教に向かって進んでいくしかない。 カルペンティエル『追跡』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200112.html#12_t1)が過ぎったけど、あんまり関係ない気もする。

『死とコンパス』 シリアスなんだけどアホすぎるミステリ。見立て殺人って、見立てが大袈裟であればあるほど滑稽なんじゃよねー。レンロットとシャルラッハのシリアスなやり取りがなければ、イシドロ・パロディ(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200010.html#21_t1)の領域の事件だと思う。

『隠れた奇跡』 処刑の瞬間(しかも、銃殺間際)が限りなく引き伸ばされるのって、普通に考えたらすさまじい拷問(静止した時間の中で、銃口は自分に向いている)のはずなのだけれど、作品を完成させたいという作者にとっては恵みになるのがおもしろい。

『ユダについての三つの解釈』 僕にとって一番魅力的なユダの解釈は太宰治『駆け込み訴え』(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/277.html)なので、それ以外のユダってあんまり。あ、あと『北斗の拳』のユダ(アニメ版の褌姿のやつ)

『結末』 ボルヘスの、無法者やならず者への憧れは、並々ならぬものがあるが、正直なんだかよくわからん。

『フェニックス宗』 宗教もよくわからんちん。特徴がないのが特徴、他の人に指摘されてはじめて自分がその宗教に属しているとわかる宗教って、日本人の「無宗教という名の宗教」みたいだなーと思った。秘儀のささやかさとか。

『南部』 無法者への憧れに対する、ひとつの答えじゃろか。ダールマン=ボルヘスは、無法者たちの世界と紙一重で生活していて、いったん踏み越えてしまえば覚悟や躊躇いなどなく無法者の世界に行けるみたい。踏み越えるのは自分の意思ではなく、そうなる運命なのかにゃー。いずれ必ず路傍で朽ち果てることになる無法者たちの運命に憧れているのかも。