山口雅也編『山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー』 角川文庫

山口雅也編『山口雅也本格ミステリ・アンソロジー』 角川文庫

山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー (角川文庫 や 29-3)
山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー (角川文庫 や 29-3)山口 雅也

おすすめ平均
stars独自の選択眼が光るアンソロジー

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収録作品:ジェイムズ・パウエル『道化の町』/坂口安吾『ああ無情』/星新一『足あとのなぞ』/P・D・ジェイムズ『大叔母さんの蝿取り紙』/アーサー・ポージス『イギリス寒村の謎』/高信太郎『Zの悲劇』『僧正殺人事件』『グリーン殺人事件』/山上たつひこ『〆切りだからミステリーでも勉強しよう』/フランク・R・ストックトン『女か虎か』『三日月の促進士』/クリーヴランド・モフィット『謎のカード』/エドワード・D・ホック『謎のカード事件』/ハル・エリスン『最後の答』/乾敦『ファレサイ島の奇跡』/宮原龍雄『新納の棺』/スティーヴン・バー『最後で最高の密室』/土屋隆夫『密室学入門 最後の密室』/アイザック・アシモフ『真鍮色の密室』/J・G・バラード『マイナス 1』

再読。初読のときはちょうおもしろすぎると思ったけれど、再読したらそこまで思わなかったのは、わしの体が大人になったからじゃろか。ミステリなので一回読んでネタがわれているから、初読の衝撃がないのはわかるのだけれど。 法月綸太郎のほう(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200807.html#12_t1)は初読も再読も楽しめたので、単に好みが変わってきたのかにゃー。

ジェイムズ・パウエル『道化の町』 住人全員が白塗りに偽っ鼻をつけた道化師とかパントマイマーの町というトンチキな設定が、トンチキなだけに終わらずちゃんと謎解きとかオチに絡んできているところが好き。そういえば、山口雅也『生ける屍の死』も、作中で設定されているゾンビの性質をちゃんといかしたミステリでおもしろかった。

坂口安吾『ああ無情』 『不連続殺人事件』でも思ったけれど、なにがおもしろいのかあんまりわかんなかった。

星新一『足あとのなぞ』 新雪に足跡が残っていないという定番の話に、すごく納得できるがものすごく納得のできないオチがついていておもしろすぎる。そして、法月綸太郎『雪密室』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200111.html#11_t2)の話とかオチがまったく思い出せないリトルおろかなわし。そんなことも…あった…ですか?(馬鹿は二回読んだ推理小説のトリックを完全に忘れる)

P・D・ジェイムズ『大叔母さんの蝿取り紙』 イギリス人はイヤ話を書かせたら天下一品すぎる。「あの女が勝って、わたしが負けたんです」と言う真犯人の矜持が素敵。蝿取り紙って、母親の実家に連れて行かれると台所にあったけど、そんなに危険なものだったのか。

アーサー・ポージス『イギリス寒村の謎』 村人ほぼ全員が死んでしまうまで「そうだったのか、しまった!」とか言って事件を延々引き伸ばすセラリー・グリーンは、金田一耕助みたいだにゃーと思った。犯人は芸術家、探偵は評論家であり、作品が完成するまで評論家は口を挟んではいけないのだたぶん。

高信太郎『Zの悲劇』『僧正殺人事件』『グリーン殺人事件』 元ネタを知らないので、あんまりよくわかんなかった。てゆうか、そんなにおもしろくないような。

山上たつひこ『〆切りだからミステリーでも勉強しよう』 今だったらありがちすぎて敢えて誰もやらないネタだけれど、古典としてここまで堂々とやってしまうといっそ清清しい。劇画調の濃い絵柄でやってるのと、合間合間のギャグも好ましい。

フランク・R・ストックトン『女か虎か』 答えがないのが楽しいリドルストーリー。女でも虎でもどっちでもあり得る状態を、蓋を開けないまま提示するのって、波動関数的に素敵じゃね?(馬鹿は量子力学をまったく理解していない)

フランク・R・ストックトン『三日月の促進士』 『女か虎か』の答えを知りたがっている人に提示されるのが、まったく別のリドルストーリーというのがおもしろすぎる。際限なく変な話に付き合わされていくようで、もっと別のリドルストーリーに延々つづいていって煙に巻かれ続けるとしたら、 エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200410.html#02_t1)みたいで楽しいにゃーと思った。あと、決断を迫られるときにはいつも促進士にそばにいてほしいと思った。スタンド・バイ・ミー

クリーヴランド・モフィット『謎のカード』 作者のモフィット自身はこのリドルストーリーに、超常現象でオチをつけた続編を発表したそうだけれど、それじゃ興醒めなんじゃよねー。語られないなら徹底的に語られない、語られるなら決定的な証拠とともに論理的に解決。このどっちか。

エドワード・D・ホック『謎のカード事件』 『謎のカード』に納得のいくオチをつけようとして、納得のいくオチがついたので、ちょう納得できてよかった。この解決が真実かとか正解かなんてどーでもいい。人間は信じたいものを信じるし、納得できるなら納得したいのだ。ただ、納得するにはそれなりの証拠が要るわけで、だから謎解きは楽しいし、謎が謎のままでもいろんな可能性を選択肢に含めたまま「わからない」という形で残りつづけることもまた楽しいのだと思う。

ハル・エリスン『最後の答』 リドルストーリーってゆうか論理学とか逆説とか詭弁の類(『「クレタ人はみんな嘘つきだ」というクレタ人』みたいなやつ)であり、あんまり好きじゃない。狂人の狂人による狂人のための論理を推測しようにも、あまりにも短すぎて、どの答えも納得させてくれるだけの説得力に欠けそうな気がする。

乾敦『ファレサイ島の奇跡』 ブラウン神父シリーズを読んだことがないのでオマージュっぷりがぜんぜんわからないリトルおろかなわし。しかし、オチの豪快さとアホっぷりは大好き。そりゃ石像が強風でグラグラ揺れているのを目撃したら、とりあえず一目散に逃げ出すのは納得できすぎる。

宮原龍雄『新納の棺』 冒頭の毒入り柿羊羹の謎がアッサリどっかに行ってしまうのでビックリしますね。本命は入れ替わりトリックなんだけれど、毒入り柿羊羹の不首尾がなければ誰も気づかないトリックだったのがおもしろいと思った。「芸術は自然を模倣する」というけれど、あまりにも自然な芸術=トリックは、自然すぎて誰の目にも留まらないので駄目なのかも。

ティーヴン・バー『最後で最高の密室』 密室自体が不自然なものなので、不自然な密室を作ろうとするといろんな無茶をしないといけないのだなあと思った。密室=不自然なれば、すべての密室は偶然の産物なのかもしれない(馬鹿はカーもろくに読んでいないのにテキトーなことを言った)

土屋隆夫『密室学入門 最後の密室』 密室といえば不自然な建物であり、不自然な建物の中で不自然な行動をすると密室になっちゃうから気をつけようと思った。

アイザック・アシモフ『真鍮色の密室』 これも密室ミステリなのか? 悪魔との知恵比べというモチーフが上回っているけれど、言われてみればシチュエーションは密室すぎる。人生至る所にミステリあり。

J・G・バラード『マイナス 1』 強迫観念大暴走のバラードらしいイヤおもしろ短篇。クローズドサークル内で、存在したはずの人間が消えたと考えるとミステリーになるけれど、「最初から存在しなかったのだ」と考えれば事件そのものが存在しなくなってしまう。人間を消すか事件を消すか、つまり、考え方ひとつで世の中は不思議なことだらけであり、世の中に不思議なことはなにもなくなってもしまう。オチがひどすぎて楽しいね。