ホルヘ・ルイス・ボルヘス『エル・アレフ』 平凡社ライブラリー

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『エル・アレフ』 平凡社ライブラリー

エル・アレフ (平凡社ライブラリー)
エル・アレフ (平凡社ライブラリー)Jorge Luis Borges 木村 榮一


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収録作品:不死の人/死んだ男/神学者/戦士と拉致された女の物語/タデオ・イシドロ・クルスの伝記/エンマ・ツンツ/アステリオーンの家/もうひとつの死/ドイツ鎮魂歌/アヴェロエスの探求/ザーヒル/神の書き残された言葉/アベンハカン・エル・ボハリー。自らの迷宮に死す/二人の王と二つの迷宮/待つ/戸口の男/エル・アレフ/結び

白水社uブックスでいうところの『不死の人』を読んで以来、10年ぶりぐらいの再読。やはり、ボルヘスの短篇はきれいサッパリ内容を憶えちゃいないので、再読に向きすぎていると言い切れる。再読直後だが、もうすでに何篇かの内容を忘れかけているリトルおろかなわし。

再読からなのかもしれないけれど、どの短篇もすんなり読みきれたのでビックリしますね。小難しく見えるけど、読みやすい。味わい深いけど、すぐ忘れてしまう。ボルヘスの作品は、真の意味で再読に耐えうる作品だと思う。

なんとなくだけど、全篇に「運命」とか「ウロボロスの蛇」(てゆうか、俺があいつであいつが俺で)みたいなイメージが共通するような。

『不死の人』 不死の人たちの都市って、なんかクトゥルー神話に出てくるルルイエみたいじゃよねー。死ねない人間の悲しみ苦しみを描いた作品は多々あるけれど、死ねない人間の内面をこうやって描いているのは見たことがないような気がする。「終末が近づくと、もはや記憶のイメージは残らず、言葉だけが残される」 

『死んだ男』 ボルヘスの描く無法者やガウチョたちの生き様、死に様は、超然とした目線から描かれるところがすごくいいと思う。あらかじめどうしようもない死が約束されている彼らの人生が、死に向かって収束していくところがすごくいい。

神学者』 正統と異端については、 ウンベルト・エーコ薔薇の名前』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200204.html#24_t1)でわかった気になっているリトルおろかなわし。屁理屈と空気を読む力がないと、火炙りが待っている地獄の公会議。正統を支持し異端を告発する文言を、論敵にウッカリ利用されて異端にされてしまうからおそろしいぜ。被告発者と告発者が、同じ火炙りの運命(一方は異端審問の火刑、もう一人は雷が原因の火事)を辿るというあまりにも象徴的な終わり方が好きすぎる。

『戦士と拉致された女の物語』 インディオに拉致されたイギリス人の女と、そうゆう運命を辿らなかったイギリス人の女の邂逅。彼女たちは異国にいて同国人だという以上に、同一人物だというのは納得できすぎる。白人の世界観で拉致された女のことを考えても意味がなく、ただ二人が同じ人間であることに意味がある。 アンジェラ・カーター『わが殺戮の聖女』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200504.html#18_t1)を思い出すね。

『タデオ・イシドロ・クルスの伝記』 無法者の運命と死。ボルヘスの描く無法者は、予めそのようになっている運命を、粛々と受け入れる。彼の人生は、(実在だろうが架空だろうが関係なく)、ボルヘス(じゃなくてもだれかボルヘス的な文章を書く人)に書き留められる運命にある。

『エンマ・ツンツ』 おそらく、この短篇集の中で唯一ちゃんと粗筋を覚えていた話。罪を捏造するために、まるで別の場所で別のことをするエンマの行動が痛々しくも、その結末は納得できる。「エンマ・ツンツの口調は真実味にあふれていたし、彼女の恥じらいは真実だったし、その憎しみも真実だった。彼女が受けた辱めもまた真実だった。ただ、いくつかの状況と時間、それに一人か二人の固有名詞だけが違っていたに過ぎない」 

『アステリオーンの家』 クノッソス宮殿にいるミノタウロスの内面って、井伏鱒二山椒魚』みたいじゃよね。『山椒魚』は読んだことないけど。

『もうひとつの死』 無法者だと信じられ、無法者でありたかったのに、無法者ではいられなかった無法者。彼が死の間際に願ったことが、つに神(ボルヘス)に届き、無法者になりたかった男は無法者になって、過去に死んでしまった。役目というか、自らのキャラクターに殉ずる無法者に憧れるボルヘスの気持ちはわからんでもないなー。

『ドイツ鎮魂歌』 ナチス・ドイツを敗北するために生まれた国家だとしているところがおもしろい。彼らは彼らの信条である暴力と剣の信仰で、自らに止めを刺す。ナチス・ドイツが敗北しても、ナチス・ドイツの信条は、勝利した国家と国民のものになるだけなのだ。「私の肉体は恐怖を覚えるかもしれないが、、私は恐怖を感じないだろう」

アヴェロエスの探求』 主人公アヴェロエスが急に物語から消え去る。作者が「彼の存在を信じることを止めたとたんに、<アヴェロエス>は消滅した」と言って終わっちゃうところがおもしろすぎる。

『ザーヒル』 ボルヘスの短篇の中ではわりと有名なやつだと思うんだけど。あんまりピンと来ないんじゃよねー。嫌いじゃないけど。

『神の書き残された言葉』 侵略され拷問されすべてを奪われたメキシコの神官が、その言葉さえ発すればすべてが蘇る神の言葉を必死に思い出そうとする。それって、『天空の城ラピュタ』でいうところの「バルス」の反対の言葉? 是非ともムスカさんに教えてあげたい。

『アベンハカン・エル・ボハリー。自らの迷宮に死す』 亡霊に追いつかれないように自宅を迷宮にするって、 ウィンチェスター・ミステリーハウス(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9)みたいじゃね?と思った。
不気味な幽霊話を、とても納得のいく解釈をしてしまうので、そりゃボルヘスも「記憶に残る話ではないと断言された」と嘆くわさ。

『二人の王と二つの迷宮』 ボルヘスさんは、うっかり人の作った話も自分の短篇集に入れてしまうからおそろしいぜ。いや、もしかして、自分で作った話を「他人の作った話だよ」と嘘ついているだけなのか? もしくはそう思わせたい第三者の陰謀なのか…(馬鹿は陰謀論に走りたがる)

『待つ』 地下に潜ることを強いられた逃亡者の、穏やかだが寂しい生活、そして突然(だが必然でもあるのだ)訪れる幕切れ。その幕切れを何度も夢で経験した彼にとって、現実の幕切れはなんだったんじゃろかー。夢がその人の運命を暗示する タブッキ『夢の中の夢』(http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200304.html#21_t1)を思い出した。

『戸口の男』 民衆が暴君を裁くとき、どんなに滅茶苦茶になってもそれは「私刑」ではなくあくまで「裁判」となる。狂人の口から判決が言い渡されるような「神前裁判」であっても、暴君は殺されるのではなく裁かれるのだ。行方不明の暴君を探しに来た語り手が、戸口を塞ぐ老人から過去に裁かれた暴君の話を聞き終わり、奥に進むと、そこには過去の暴君よりももっと裁かれちゃった現在の暴君がいるからおそろしいぜ。

『エル・アレフ』 初読時、エル・アレフ(すべての点を含んでいる空間上の一点)というガジェットがあまりにも強烈に蟲惑的だったので、再読してるとぜんぜんエル・アレフが出てこなくてビックリしたりもした。ええい、ビテルボやらヘボい詩やらはいい、エル・アレフを出せ! エル・アレフのエル・アレフぶりを! …さすがボルヘスだ、エル・アレフだ! ラテンアメリカばんざーい!(カルロス・アルヘンティー家の地下室の階段を転げ落ちる)