12日のshznさんへのレスを兼ねて(12日の記述はバグっているのでコメント出来るか不安だし)、自分の現在の立ち位置を確認してここに記す。
 サイト運営を巡る考え方でぼくとshznさんの最大の違いは、「読者」という存在をないものとして無視しているか、もしくはあるものとして意識しているかの違いだと思う。もうちょっと詳しく説明すると、ぼくは自分のためにしかサイト運営をしてないし極論すれば顔も知らない「読者」のことなんて知ったこっちゃないと思っているけれど、shznさんはおそらくは顔の見えない読者のために礼儀を尽くし、ものを書ける人なのだと思う。どちらがいいか悪いかじゃなくて、単なるスタンスの違いとして聞いてくださいね。
 「読者」の存在を信じていないぼくは、ぼく自身以外の読者を想定していないし、ゆえに自分のための読書メモが不特定多数が閲覧するある種のアンテナの類にひっかかると非常な、曰く言い難い違和感を覚えました。何故かというと、不特定の誰かという「読者」のためにものを書く責任(頼まれたわけでもないのになぜそんな責任を感じるのか、ぼく自身甚だ不思議なのですが)から逃れたかったからです。そして、ぼくがamazonアソシエイトの類をやらないのは、技術的な無知という問題以上に、「読者」に対して金銭を伴った責任を負いたくないからなのです。
 ぼくは映画感想文や読書感想文は書けても、レビューや批評といわれるようなものは書けないと思っています。レビューや批評は「読者」に対する責任を負わなければならないとぼくは考えていますし、amazonアソシエイトの類の金銭を伴う「読者」への紹介もまた「読者」に対する責任を負わなければならないとぼくは考えています。金が絡むから汚いとか嫌だというのではなく、ぼくは顔の見えない「読者」のためにそんな責任を負う義理はないと思っているので、出来るだけ「読者」から離れたところで、テキトーに無責任に、自分にしかわからない言葉を使って自分のためにサイト運営をしたいのです。そして、そんな我侭が通ってしまうのがインターネットの素晴らしい厄介さだと信じて疑いません。
 ぼくがぼく自身のために書いたものが結果として「読者」の役に立てば(おもしろがってくれるとか、鼻で笑うとか)それはそれで結構なことだし、役に立たなければ(「義母とセックス」で検索して来る人はガッカリしていることでしょう)それはそれでしようのないことです。ただ、「読者」を意識せざるを得ないためになんらかの負い目を背負いたくないというのが、ぼくの基本的なスタンスなのです。ぼくがネットを通じて顔も知らないだれかとコミュニケーションを図るたびに失敗するのは、たぶんにこのスタンスに拠るものであることは重々承知していますが、このスタンスを捨ててなおしがみつかねばならないのならば、ここはぼくにとっての火宅となります。
 だからぼくには必要なことではあっても、ことがサイト運営に関していてさらに金銭にまつわることであるのなら、申し訳ありませんが、提案はすべて馬耳東風と思ってください。