生徒の合唱による『仰げば尊し』も聞けたところで、各キャラクターの感想戦に突入していきたい。容赦なくネタバレ(あと、妄想)するのでこれからプレイする人は見ると死ぬ。全身に鱗が生えてくる病気で死ぬ。まずは先生から。『大人たちの長い夜』を終わったばかりなので、今は教師連にかなり思い入れがある。

  • 主人公(プレイヤーキャラ、3年B組担任代行。国語教師)
    • 説明書に名前すら載っていないことからもわかるように(一応設定はあるらしい)、空気のような存在。金八先生の代理として呼ばれて、なんか知らない間に自分の与り知らぬトラブルに巻き込まれては教師生命を地獄の断頭台に晒し続けるよ? 空気のようにその場にいるだけなので今回は関係ないだろうと油断していると、ちょっと気を許すとすぐ責任を負わされてまた教師生命が危険に晒される(毎回)。穿った見方をすれば、主人公がトラブルに巻き込まれるのは校長の陰謀だったのかもしれない(理由は後述)。じっと息を潜めて他人の論争を見守っては、かっこいいセリフを収集するのが趣味。そしてどの場面でも空気のような存在のくせに、最後の最後にかっこいい決め台詞を吐いてその場を無理矢理収めようとする悪い癖がある。「太陽が……眩しいからな」は至言であるが、教師としてどうなのか。あと、懐に『贈る言葉』を録音したシリコンオーディオを隠し持っていて、切りのいいところで突然スイッチを入れて無理矢理金八チックに事件を終わらせるという離れ技を使う。
  • 広沢りん子(3年B組副担任。英語教師)
    • 声が『高機動幻想ガンパレード・マーチ』の芝村舞や『ダークロウズ』のティアリス姫と同じというだけでもう辛抱たまらんが、遅刻しかけて寝癖をつけたまま走ってきたり、見境なく酔っ払ったり、やっぱり辛抱たまらん。とくに一週目のシナリオにおいて、主人公が事件に巻き込まれるのは大抵彼女のせいであり、彼女本人が教頭や他の先生と起こした小さないざこざを売り言葉に買い言葉で騒ぎを大きくし、その上問題を巧妙に「私たち」と一人称複数形にすり替えることで、え、ちょ、なんでぼくがこのやっかいな件に関わっていてしかもぼくの教師生命だけがかかっちゃっているんですか? あと、主人公べったりに見えて意外と冷たい。ってゆうか、滅私奉公にならざるを得ない主人公と比べると、わりと自己中心的。10話の最後で犯人当てをミスったとき、あんな当てこすりを言われるとは思わなかった。
  • 坂本金八(入院中のB組担任)
    • 武田鉄也嫌いなわしには、ここまでデフォルメされてもなお悪夢のような嫌なキャラ。クリアするためには何度か会う必要があるが、うっかり変なカードを見せると関係ない余談を延々聞かされてわしの怒りゲージはマックスになり即リセット、一日をやり直す羽目になるので許せんことがわかった。俺がこの世でただ一つ我慢できんのは―――武田鉄也の口から出る坂本竜馬の逸話だ! クリア特典が金八語録というのは、人を舐めるにもほどがあると思う。
  • 鈴木夏子(校長)
    • 一見いい人そうに見えて、教頭の理不尽なまでの責任転嫁を見て見ぬフリをして立場の弱い主人公をかばってくれない薄情な人。トゥルーエンドを見ればわかるように、校長は桐谷とつながっていた。教頭から学校運営の実権を取り戻そうとしていた校長は、噂を知りつつ桐谷を招聘し裏口入学を餌に教師を掌握しようとしていたのかもしれない。その際邪魔になるのは熱血教師坂本金八であったが、さいわい彼は過労で入院していた。校長は厄介な坂本金八本人に追い込みをかけるのは避け、坂本金八の推薦でやってきた主人公をまず不祥事で退職させることで、入院中の金八を牽制(もしくは推薦した責任を追及)しようとしたのではないか? ある意味、このゲーム中一番の外道であり、桐谷と並んで教師という職業の悲しき末路ともいえる。 
  • 田沼貴一(教頭)
    • 見た目はGTOの教頭、行動はGTOの教頭、嫌味の数々はテレビドラマ版のGTOの教頭……それは中尾彬じゃろか? 最初は世間体ばかりを気にして代理教師をいたぶる嫌味な発言ばかりが目に付くが、次第に彼の教頭としての立場、学校という場そのものを守らなければならないという役割が見えてくると、なんで教頭があんなにも尊大なのかちょっとわかってきておもしろいね。まあ、それを差し引いてもイヤなかんじは拭えないのだけれど。いち教師として一人の生徒を救うために奔走する主人公と、学校全部の重石にならざるを得ない教頭では、自ずとやり方が違うのだ。『大人たちの長い夜』では教頭らしからぬ行動でいい人であることをアピールしていたけれど、最後のほうのシナリオでも十分その辺は表現できていると思う。
  • 小須田念次(古典の教師?)
    • ゴマスリ、腰巾着系のよくある小物かと思いきや、じつは彼のキャラクターならではのいいシナリオが二つも用意されていて、破格の扱いにビックリしますね。ドラマなんかだと熱血系の教師しか評価されないけれど、熱血だけでいい教師になれるわけではない。小物は小物なりに、小須田先生は彼にしか出来ないやり方で何人もの生徒を救ってきたのだろう。目立つやり方ではないから気づかれることも少なく、生徒からありがたく思われることは稀かもしれないが、彼もまた教師であり、教師として彼に出来ることを精一杯やっているのだ。生徒としては尊敬は出来ないかもしれないけれど、大人になるとありがたさがわかってくる。
  • 高峰通(数学教師)
    • けしてお友達感覚では付き合えない厳格な教師。生徒に嫌われることを覚悟している教師。その覚悟ゆえに甘さが出来てしまう教師。自分が学生のときならば、彼のことを毛嫌いし、勉強させることしか能のない教師だとバカにするだろう。でもきっと、大人になって懐かしくまたありがたく思い出すのは、彼のようなうるさがたの教師だとも思う。生徒を愛し教育することにかけては人一倍だが、厳格さゆえに空回りもしてしまう。広沢先生争奪クラス対抗騎馬戦で見せたお茶目な面から見ても、人としてはわりと付き合いやすいんじゃないかなー。『大人たちの長い夜』でもかなりボケてたし。卒業してから会ってみたい先生。その知識量から桐谷と対等に渡り合えると思いきや、あっさりと弱みを握られ退場させられるあたり、「教師」になりきれていないのかも。
  • 関原大介(体育教師)
    • 姓はセクハラ、名は大好き。赤ジャージでセクハラが大好きな筋肉バカな体育教師というと、他のドラマやゲームではまず間違いなくイヤなキャラクターにしかならないのに、ここまで憎めないのも珍しい。彼はただ自分に正直すぎるだけであり、他の教師が必死に抑えつけているさまざまな欲望を、まるで息をするように自然に表現してしまうだけなのだ。あまりにも天真爛漫すぎるので、つい「慰謝料」を渡したり「足長おじさんになってくれ」と頼むと、他の先生なら慌てて断るのに躊躇なく引き受けてくれて即ゲームオーバーになってしまうが、関原先生ならしょうがないなーと思う。わしが関原先生を憎めないのは男だからかもしれないけれど、10話で不正入学を斡旋しながら「生徒や親御さんたちが頼ってくれるし、喜んでくれるんです」と素直な笑顔を見せる彼を責める気にはなれない。まあ、人望欲しさにアジフライを配るようなものじゃよ。
  • 相沢カヲル(理科(物理?)教師)
    • 挫折したがそれを認めたくないのでしかたなく教師をやっている、と思い込んでいる人。わりと教師に向いていると思う。5話『星に願いを』は彼の物語であり、カミナリバード。『大人たちの長い夜』では、どう見ても接点のなさそうな元ヤンの水島先生と話していたのが印象的。腰掛のつもりだった教師という職業に、次第に目覚めつつあるところが好き。
  • 音無静子(音楽教師)
    • 奇態な登場シーン以外ではほとんど絡まないので印象が薄いにゃー。『大人たちの長い夜』でもほとんど勝手に動いてただけだし、芸術家ってわかんない。ただ、彼女が桐谷を評して「偽物の芸術家」と呼んだのは印象深い。
  • 久保真理子(カウンセラー)
    • ほぼ高千穂誠専用の攻略キャラであり、あんまり印象がないにゃー。『大人たちの長い夜』にも出てこないし。誠と父親の関係の代弁者としてはよく喋っていたけれど、教師あるいは人間として喋っている場面が思い浮かばない。
  • 水島奈美(校医)
    • エッチなことしてーと思って会いに行ってもあんまりいないし、いても反応が素っ気ないのでせっかくのお色気たっぷりな外見が勿体無いと思った。とくに生徒のシナリオと関わることもなく、高千穂誠関連では「体のことは私、心のことは久保先生に聞いて」とサバサバした対応でおもしろいなーと思っていたら、『大人たちの長い夜』では元ヤンだったことが発覚。納得できる。学校というガチガチの階級身分制社会に嫌気が差していたみたいだけれど、接点のなかった相沢先生との会話で教師という職業についてなにか思うところがあった模様。お友達ではないが大切な仲間(同僚)という関係で自分の中で納得したところがよかった。
  • 神崎武則(社会(倫理?)教師)
    • 未だに安保闘争の夢を捨てられないお爺さんぐらいにしか思っていなかったのだけれど、『大人たちの長い夜』で意外にシニカルでニヒリストな一面を覗かせる。そりゃ何十年も革命の闘士をやってれば、これぐらいの皮肉屋にもなるわな。ほんとに脇役だったので、是非彼メインのシナリオも見てみたかったなー。学校内政治から一歩引いた立場での昔ながらの教師像は、今でも予備校の講師とかに引き継がれているんじゃろかー。
  • 桐谷正輝(美術教師)
    • 金八ワールドには本来居てはいけないレベルでのどす黒い悪。どれぐらい桁外れかというと、『天空の城ラピュタ』でのムスカレベル(超スゴイ)。アナベル・ガトーの声で「チハルはわたしの母になってくれたかもしれない女性だった」とか叫ばなくてよかった。一週目終了時点だとただの頭のいいサイコ野郎でしかないのだけれど(処分の甘さから、校長とのつながりが窺える)、2週目でチハルの日記を手に入れると、桐谷には桐谷なりにああならざるを得なかった事情が見えてくる。不正入学を斡旋する程度の悪でしかなかった桐谷が、ああなってしまった理由。桐谷は母親の面影のある少女チハルを本気で好きだったのだと思う。桐谷は偽物の芸術家であり、彼自身チハルをモチーフにした絵などどうでもよかった。いかにもな芝居がかったセリフ「腐りながら生きろ」も芸術家の先生と生徒という戯れの上のことで(もしかしたら、チハルをモデルにしていた絵と一緒で、いじめられていたチハルに対する彼なりの励ましだったのかもしれない)、本気ではなかったはずだ。だが、桐谷を愛していたチハルは、不正入学疑惑から桐谷を守るために(世間の目を事件から逸らすために?)死んでしまった、日記と未完成の絵を残して。桐谷の真の狂気はここから始まったに違いない。チハルの日記を受け取り、自分の失ったものに気づいた桐谷は彼自身の言うように「彼女の死を受け入れ、前進する」しかなかった。つまり、チハルが「生と希望」と呼んでくれたあの「死と絶望」の絵を完成させるしかなくなったのだ。桐谷は桐谷なりに、死んだチハルの想いに応えようと必死だったのだろうと思う。どんな犠牲の上にでも「死と絶望」の絵を完成させ、チハルの「生と希望」を実現させねばならなかった。すべてはチハルのために、桐谷は自分で受け止めきれない絶望を吐き出していった。偽の芸術家である桐谷には自分を満足させるだけの真の「死と絶望」(それは「生と希望」へと転化される)を作り出すことは出来ないのだが、それでも繰り返し繰り返し憑かれたように同じモチーフを描くことしかできなかった。ことチハルに関しては、彼もまだ教師だったのかもしれない。